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「嫌われる勇気」 嫌われるより無関心 無視できない存在


「嫌われる勇気」という本が最近よく読まれているらしい。読まれてい”た”、過去形かもしれない。香里奈さん主演のドラマも放送中?していた?とのことだ。とにかく世間で関心を集めていることは間違いない。中二の頃の私ならずいぶんこのタイトルも響いたことだろう。そのころ、私はどうしたら人に好かれるか、同級生や同じ部活の部員と仲良くなれるのか、そんなことばかり考え、いい人になろうと努力していたからだ。嫌われるというより、私は好かれていなかった、孤独であった。だから友達と呼べる、そんな人が欲しかった。好かれるの対極にあるのが嫌われるということで、嫌われる勇気ということは好かれるという概念を前提としているが、いまの私に好かれるとか、嫌われるとかいう感覚はなく、とうの昔に忘れた、既に朽ちた概念であった。すっかり人間ぎらいになってしまって、できるだけ人とは関わりたくない、関わらないように生きているというのが本当のところだ。親切にする機会があっても、面倒なことになるんじゃないか、本当に親切になるのだろうか?そんな思いから差し伸べかけた手をひっこめることは日常だ。頼まれごとや、頼みごと、それを直接ではなく、業務的にあるいは間接的にやりたくなる。友人が不在の時をあえて狙って贈り物を届ける。予定があるときにあえて約束をして最低限の目的だけを果たせる算段をつける。私の主義、人生観に沿わない、視点・感性による判断を私は猛烈に批判するし、決して同意しない。私はそうした友人でも馬鹿げた発想や幼稚な主張にはイライラさせられるので、私の前では口にするなと憤慨する。「嫌われる勇気」、手に取ることさえ恥ずかしさを感じるが、できることならもう少し嫌われたい。そしたらもっと自由に気楽に日々を過せるだろう、今のままじゃ煩わしい人間関係が多すぎる。正確にいえば、嫌われるより、無関心でいてくれたらそれが一番かもしれない。いてもいないでもどちらでもいいようなそんな存在が理想なのかもしれない。だが一方で、私の発言や行動が自然と私を他者にとって”無視できない”存在に仕立ててくれたら気持ちがいい。このブログはそんな野心によって続いている気がする。

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わたしもそうでありたいと思うときもたまにあるかもw

おもうんですけどねw

嫌われる,好かれる,イコール惡いひと,いいひと,じゃなく。

「どうもふつーじゃないね,あのひと」,とおもうことと,「ふつーだなあのひと」とおもうこと,
そーゆーことが,即スキキライや正しさでかたられることがへんですよねw
ふつーにしてても,イヤミな奴もいるし
ふつーじゃないからこそ好きだ,というひとも,たまにはいるしw,
「ふつー」にしてる人を好む人も,自分は普通の人にはなりたくないとおもってるようだし。
KYな・・・・暗黙のルールが守れないふつーじゃないひといるけど,むっちゃいい人,おもしろいやつだったりする。

社交的かどうかが,社会の一員としての唯一の存在価値,ではない。
ふつーじゃない,迎合しない,そういう人をすぐ嫌う心象,というのは,あまりに,狭い,不寛容ですよね。
ヒト種に多様性あることが,人類の存続の希望なんです。

Hajimeさんがどんなふつーじゃないこと書いてもw,わたしはそれだけではきらいになりませんよ

最近の文章,Hajimeさんが窮屈さを感じている現実がありありとうかがえますww

とはいえ
あたしゃ「たのむからいまだけはふつーにしててくれ」
といわれたときには,ちゃんとふつーにしていられる程度の,「ふつーじゃないヒト」が好きですね

No title

アドラーの「嫌われる勇気」のことなら、
どこでもいい、どこかのサイトを見に行けば、
どのサイトも、99%、同じことが書かれている。
つまり、99%が、嫌われる勇気も、
自己の判断基準さえも持っていない。

アドラーごときに啓発されるような、
くだらない自己を自己と呼ぶのなら、
そんな自己を啓発しても、何の意味もない。
僕は、アドラーに嫌われたいなw。
きっとアドラーは、
僕に拍手を送るだろう!

玄さんへ


経験からくる言葉はなんと重みがあることでしょうか。
世の中には本当にいろいろな人がいて、ほんの一握り、一つまみくらいの人としか接していないわけで、そう考えると恐ろしいようなめでたいような気持ちがします。
きっと玄さんはたくさんの「ふつー」じゃない人をご存じで、接する機会もありそうですね。そのかかわりの中でまた自分の人格も影響され、形成されていくという。

>ヒト種に多様性あることが,人類の存続の希望なんです。
そう考えれば、現実をより肯定的に受け入れられる気がします。

独りで好き勝手に書いていると、ふつーを見失いますし、自分でも大丈夫か?と時々思います。もともと何もないのかもしれませんが、善や正しさ、まっとうな考えは持ちたいなと思うわけです。

窮屈さ、伝わりますか。自分の書いた文章が伝わるというのは本当にうれしいものですね。失望するわけではありませんが、現実はなかなか厳しいw
玄さんにふつーにしててくれと言われれば、全力でふつーにしているんですが、どんな場合でもそうしていられるかどうか…玄さんには好かれたいと思っています。。

青梗菜さんへ


どうも啓発系は好きになれないです。。
自己啓発を他者に頼るとはこれいかに?
でもしっかり読むと効果あるのですかね?
すごやる気がみなぎったり、立派な人になれたり………

>アドラーごときに啓発されるような、
くだらない自己を自己と呼ぶのなら、
そんな自己を啓発しても、何の意味もない。
僕は、アドラーに嫌われたいなw。
きっとアドラーは、
僕に拍手を送るだろう!

こういう発言を青梗菜さんの真骨頂と私は思っています。
気持がいい!
プロフィール

hajime

Author:hajime
ぜひ、高校生や大学生などの青年諸君に注意深く読んでもらいたい。むやみに多読する必要はなく、知識や思想の力があれば悩みに打ち勝つこともできるのだ。僕自身が高校時代から現在に至るまで苦悩と苦悶を繰り返しながら、懸命に人生について、「善く生きる」とはどういうことか、ということを真面目に考え、行ってきた事実をここに記している。その内容はきっと青年に役立つであろうと思わないではいられない。

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