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『道徳感情論』 私の精神の成長の記録


この世界には、”読むべき”ではなく、”読まなければならない”書物というものがあると私は思う。それは現代に生きる人々の義務であり、この世界の未来のための責任であると信じている。その一つに『国富論』がある。著者はアダム・スミスで、「見えざる手」はあまりに有名であろう。だが、岩波文庫で『国富論』を検索すると全四冊の大作であり、社会科学を意味する白帯、特に社会科学においては無知の私にとってはとても手の出せない代物であった。また『国富論』と経済学の双璧をなすともいえる『資本論 マルクス著』に至っては全九冊であり、もはや私にはこれを読破する時間も、体力も残っておらず、それを理解するには余りに貧弱な頭脳であるため、あきらめていた。

「知ってるか、アダム・スミスは道徳の先生だったんだぜ?『国富論』の前に『道徳感情論』を読む必要があるね。まぁ、それをしっかりと理解したうえで『国富論』に臨むことだよ。『道徳感情論』はたしかに『国富論』ほど有名ではないかもしれないが、アダム・スミスの思想の根幹にあるものはこちらに色濃く表現されているように思う。」

Pはこんなことを言った。『道徳感情論』か、調べてみると上下巻であり、なるほど道徳であるならば、経済を論じられるよりも理解できそうな気もした。

このブログはずっと文学作品の抜粋を冒頭にかかげ、そこから紡ぎ出された思索と思想をつづるスタイルをとっていたが、私がこの『道徳感情論』を読み進め、その最中も、読み終えたときも、私の得た感想というのは未理解であった。いかに私の知力が乏しいか、それを改めて痛感させる書物であった。私たちは基本的に経験によってしか理解することはできないのだと思う、だが賢い人間というのは経験をせずして、他者の言論を理解することができるのであり、ゆえに人生で得るもの以上のなにかを説明することができるのではないだろうか。知力の乏しい私が、さも分かったように文学作品を論ずるのは間違っている。私ができることと言えば、その書物によって何を感じ、どのように成長することができるのか、その可能性を見出すことでしかない。文学に親しむきっかけになればとの思いも確かにあった。しかしながら、それは益のないことのようであるし、私の成長を綴ることの方がよほど、文学的ではないだろうか。私は作家になりたいわけでも、思想家になりたいわけでも、宗教家になりたいわけでも、資産家になりたいわけでもないのである。自分自身になろうとしているようでもあるし、自分自身を凌駕していこうとしているようでもある。あるいは、自分自身を無に帰そうとしているようでもある。

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hajime

Author:hajime
ぜひ、高校生や大学生などの青年諸君に注意深く読んでもらいたい。むやみに多読する必要はなく、知識や思想の力があれば悩みに打ち勝つこともできるのだ。僕自身が高校時代から現在に至るまで苦悩と苦悶を繰り返しながら、懸命に人生について、「善く生きる」とはどういうことか、ということを真面目に考え、行ってきた事実をここに記している。その内容はきっと青年に役立つであろうと思わないではいられない。

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