私のモダニズム 古典からの卒業


昨年、岩波文庫で待望の『パンセ パスカル著 (上中下)』が発売された。私は書店で『パンセ (下)』を目にしたとき、本との出会いにおいて最高の興奮を覚えた。「人間は考える葦である」とつづられた伝説的書。それがようやく読める日が来た!私は心を躍らせ、家路につき、さっそく読み始めた。悲劇はやがてやってきた。

箴言の数々に私は興奮冷めやらぬといったところであったが、徐々に雲行きが怪しくなっていき、気がつくとひたすらキリスト教を推しているパスカル。私は辟易したし、ひどく絶望した。もうキリスト教はいいから。それが私の本音であった。パスカルにそのすべての責任があるわけでは無論なかった。私は同時に「幸福論 アラン著」を読んでいた。これがいけなかった。この「幸福論」もキリスト教を信じよ。そう読者に告げる。

全幅の信仰は私たちの悩みも苦しみも救ってくれる。そしてそれは幸せであると。ではなぜ、キリスト教なのか。それを延々と説いている。

その人にとれば信仰の対象などなんでもよい。ただキリスト教がたしかに平和的ではある。しかしながら、安堵という名の幸せのためにはどんな宗教でもよいのである。いいかげん、飽き飽きしてきたし、せっかくの思想も結局キリスト教に通ずるのを思うと、私はキリスト教がらみの文学を排除しようかと考えている。ドストエフスキーを私は好きであったが、結局はキリスト教の在り方やキリスト教に対する問いに多くのページが割かれていた。私はキリスト教どころか宗教自体に必要性を感じない。宗教がなくても、この世界はすばらしいと思えるし、これ以上なく幸せである。また、理系の私にとっては、世界はピタゴラスは数式で表せるといったが、私もエネルギーの変換としか見えない。対称性のやぶれがあり、有と無ではなく、均衡があったのだと思う。世界が重力によって上から下へ移動するがごとく、エネルギーが大きい方から小さい方へ移動し続けるのみである。そして物質は最もエネルギーを消費しないよう動く。あらゆる活動はこの法則に従っているのは世界を眺めれば明らかでもある。信仰は楽に生きるにはもってこいの手段なのでぜひとも活用するといいと思う。そして、信仰するならなるべく徹底的に信仰するのがいい。多くの人は中途半端に信仰して相変わらず苦しむことになってしまう。信仰するのは味気ない。世界を注意深く観察し、深く知ろうとする方がよほど幸せだし、楽しいと思うのは私だけだろうか。

私は好古趣味であったが、いよいよおなか一杯になってきた。クラシック音楽、印象派、古典文学…これらが、ジャズ、抽象画、現代文学へとシフトしていった。古典はちょっとあつくるしい。クールじゃない。なんとなく、こうして芸術は変わっていくのだろうなという実感を得た。これは希望でもあった。とすれば、いつかこれらのものもおなか一杯になり次によりクールなものを求めることになる。それはいったいどういうものになるのだろうか?

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古代はイコール古拙ではないし

ところがさ。キリスト教がキリスト教として発生したのはたかだか紀元1年ですよ。せいぜい。
ナイル川からチグリスユーフラテス間,アシアマイナーのなかにごちゃごちゃの洗練されてない宗教が土着的にあった。ユダヤ文化,ギリシャ文明のなかには,ギリシャ神話いがいにも,たっくさんの土着宗教があったんです。オシリス神話,ミトラ神話,拝火教。それらをイエスのキリスト教が征服した。

つまりキリスト教は,その地域のそれまでの文明と地域のその均衡状態を混乱させた新興の破壊者でもあるわけで。
それをとりいれ発展したヨーロッパの後進国がドイツ,フランスいわゆる神聖ローマ帝国です,

Hajimeさんがおっしゃる西欧の古典,classicですが,それは世界文明を見れば意外にあたらしい,ということは見落とされがちです。

ヨーロッパ人にとって,古代,古典は,ギリシャだとおもいますしね,

一切キリスト的なものはない。イエスのイの字も出てこないwそりゃそうですよね,まだイエスが生まれる何百年も前なんだから。

さらに古い古典というのがあるんです,という。そのことはあたまではわかってても,その事はなかなか肌で分からない

キリスト教にヘキエキしたときには案外ギリシャ哲学・文學の英知が新鮮に映るかもしれないですよ。
ソフォクレス,エウリピデス・・・,「オイディプス王」とかね・・ドストエフスキーの登場人物より暗い,絶望的に暗いし,深刻に悩む。けれども,彼らには信仰がない。
とはいえ
「信仰がない」,というのは,何も信じない,畏怖しない,ということじゃなくて,恐懼の中に生きてるんです

カンタンな御利益だの見返り,免罪符,そういう便利な構築がない。

ということにすぎない。

Hajimeさんのおっしゃる「信仰は楽に生きるにはもってこいの手段」,というそういうシステムがないのが,古代,Ancientですよ。

あるのは,天と地だけなんですよね。キリスト教以前の世界は。

中国の古代も同じです。
古典の定義は何か,と言ったらね
「でっちあげられた教会」を介さずして天と語り合っているのが古代人,古典,と,わたしはおもいますねw
モダンに向かうもよし,どっちにしても畢竟。キリスト教さえも所詮ちっぽけなものになるほど,文學,思想哲学の深さですよw

ながくなってしまいましたw

No title

>さらに古い古典というのがあるんです,という。そのことはあたまではわかってても,その事はなかなか肌で分からない
あぁ、そうですね。
頭では振り切れる。
括弧に入れて、追い出せる。
でも、僕の身体がキリスト教的に染められてるんだなぁ。

分かりやすく言えば、
イエス・キリストは、
キリスト教の影響を受けていないw。

僕よりも、Hajimeさんよりも、
イエス・キリストは、キリスト教からは自由なんだ。

Re: 古代はイコール古拙ではないし


むちゃくちゃわかりやすい。ありがとうございます。
ようやくそんなことに気が付きました。科学的進歩の数直線上に世界が進んでいるように錯覚してしまっていたんです。

キリスト教以前に、ギリシャ哲学をはじめ様々な思想や土着の宗教があった。それがどういうことなのかわかっていたようでわかっていなかった。玄さんがいつもおっしゃる”あるのは,天と地だけ”、すごく好きです。その通りですね。

天に語りかけ、大地に耳を傾ける。そういうことが少しわかったような気がします。

>深刻に悩む。けれども,彼らには信仰がない。
私は少し勘違いしているようです、科学の介入の意味合いを、信仰がないことと、科学が未熟であることによる影響がいかなるものであるか。キリスト教以前に戻る時にはこのあたりを念頭に置きつつ思索してみようと思います。また、20世紀文学以降を考え、新しさや新たな文学的価値の創造を模索したいように思います。

「オイディプス王」、始めてみようと思います。いつもアドバイスありがとうございます。同時に、アジア、主に中国の古代から現在にいたるまでの文学も知っていくべきですね。「古典」という言葉を安易に使ってしまい申し訳ありません、好きな分野と言った方が適当でした、「印象派」みたいな感じです…

青梗菜さんへ


すごい、青梗菜さんはイエス・キリストを知っている感じがありますね。
俄然、イエスが存在していた感覚を得ました。
イエスってとんでもないことを思いつきましたね。キリスト教って偉大な教えです。

キリスト教から自由になりたいなぁ、それは無理かな…

No title

ちょうど,Hajimeさんお好きなバガヴァッド・ギーターの成立したころ,と考えてもそれほどたいしたちがいはないですよ。

わたしにとっては,孔子孟子,ブッダ,ソフォクレス,みな同時代人ですねw
古代があった,ということを深く実感したら,世界はキリスト文明中心に構築されてしまっている,が,もともとそれは大前提ではない,ということにおもいあたります。
そうすると,いかに日本は,歐米文化によって,世界のすがたが,蒙蔽されてしまってきたかに気付きますよ,

古典にかじりつくのはいいことだとおもう。どこからでも,どこの地域にでも古典は転がってる。
またいつでもできる。
逆に「いつでも読める」だけに縁遠くなってしまいますが。

No title

こんばんは
お久しぶりです。

ご卒業おめでとうございます
と申し上げたいところですが
卒業とは、全課程を修了することですから

>古典はちょっとあつくるしい。クールじゃない。

そうですね
私もそんな季節
ありましたっけ笑
と申しますか
学生時代から近現代も大好きでしたから…。

sakiさんへ

こんばんは。お久しぶりです。
ずっとsakiさんを恋しく思っていたところでした。
記事を読んでいると、日常を愛する心、世界を眺める優しいまなざし、そして誰に対してもお持ちの寛容さ。それらが日々増していくようで、ただただ憧れを抱いています。

その中にある、厳しさ。単位も取って卒業!と意気込んでいたけれど、突きつけられたのは落第通知。学問に対して真摯なsakiさんですから当然かと思います。

学生時代から、近現代も大好きだった、だからこそのブログから伝わる豊富な文学素養。私のはぺらっぺらで。私は不器用でセンスがないので、音楽で言えば、いつまでたってもバッハ、ベートーヴェン、ショパンを巡っているという体たらくで、なかなか寛容になれないんですよね。なので最近ジャズを好ましく思えたのは驚きでした。まだ、ブラームスやマーラー、ワーグナーは理解ができません。そんな感じでようやく文学の小学校過程をすんだかなと思えたのでした。まだまだですね。「オイディプス王」を勧めていただいたので、これを読もうと思いますし、まだまだ半端とは自覚しながら、近現代に取り掛かることにします。

近現代全くと言っていいほど読んでないのです。エリオットの「荒地」やジョイスの「ユリシーズ」、バルガス・リョサの「緑の家」など気になっているところです。

玄さんへ


初心忘れるべからず、と言われますが古典忘れるべからず、と肝に銘じます。

日本の街並みや人々の生活を眺めていると、ヘンテコだなーと思いますが、なるほど欧米文化によって蒙蔽されてしまったからなんですね。

バガヴァッド・ギーター、論語、老子・荘子、ブッダのことば、などはやはりとても心になじみました。今でも大事にしている思想だと感じています。
平家物語の冒頭、いろは歌、いいなぁ。
プロフィール

hajime

Author:hajime
ぜひ、高校生や大学生などの青年諸君に注意深く読んでもらいたい。むやみに多読する必要はなく、知識や思想の力があれば悩みに打ち勝つこともできるのだ。僕自身が高校時代から現在に至るまで苦悩と苦悶を繰り返しながら、懸命に人生について、「善く生きる」とはどういうことか、ということを真面目に考え、行ってきた事実をここに記している。その内容はきっと青年に役立つであろうと思わないではいられない。

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