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一人の人間として社会で生きられるように育ててくれた親への感謝

ああ、子に対する母の愛には、他のあらゆる愛を凌駕する永遠のやさしさが秘められている。この種の愛は我欲によって冷まされることはまずない。ましてや、危険に晒されたからといって怯え慄くこともない。また、その子が立派な人物に成長しなかったからと言って、その愛情が消滅することはない。母親というものは自分の生涯のあらゆる歓楽を犠牲にしてまでも、子供のために何かをしてやりたいと考えるものである。親はすべての喜びを、子供のために捧げるのである。親は子供の名誉を誇り、子供の立身栄達を喜ぶのだ。しかし、もしわが子に不幸が降りかかるようなことがあれば、不憫さゆえに親はその子をなおさらいとおしく思うのだ。わが子に不名誉が及ぶことがあったとしても、それにかまわず親は息子を愛して慈しむのである。もしも、全世界の人々がわが子を見捨てたとしても、母親は愛しい自分の息子を守るものである。   『スケッチ・ブック』 アーヴィング著より



この春、私は家を出た。かつて思い描いた未来では、私はとっくに家を出て、自立して、立派な人物になっていたはずだった。親を安心させ、親孝行らしい親孝行の一つや二つやり遂げているはずだった。ところが、ずいぶん遠回りをしてしまって、私も若さを失い、親もすっかり年老いて、私が果たそうとした立派な親孝行はこの遅れによって難しいものになり、どうやって形を繕おうとも苦い思いが混じってしまうであろう。仮に、親子が信頼しあい、運命がもたらしたその問題を受け止め、力を合わせて乗り越えることができたなら、その絆は生涯かたく結ばれたままであったであろう。私自身は精いっぱい向き合ったつもりだ、そして親も自分自身に向き合い、親としてのあるべき姿を模索したであろう。しかし、問題を正しく把握し、私を理解することはできなかったようだった。人は、己が経験したことのないことは想像することさえ難しい、ましてやそれを理解することなど不可能である。私はこう理解していた、だがせめて親身になって分かろうという心と心を氷解させようという努力を感じたかった。ついに私は希望も夢もあきらめて、そのまま故郷に残ることにした。家を出る大義はなくなった。親と過ごす時間の有限に初めて思いをはせたのはこのときだった。親と過ごすこの当たり前の時間を惜しんで生活し、終わりを予期し、永遠を見いだせないかと奮闘した。自分の命を捨ててでもわが子を守るという母の言葉と、無理解という大きな矛盾に私は大いに苦しんだ。やがて仕事を始め、少しずつ自分の力で立とうという人生への挑戦に駆り立てられていった。振り返れば、その時その時に課題があり、深慮があった。自立のための準備期間と言えなくもなさそうだが、怠慢とも結論できそうだ。あれほど長く、親元で暮らしていたにもかかわらず、日々自分の力で生活を送れていることは少なからず私自身驚嘆した。親元を離れて初めて親のありがたみが分かるというが―これはおそらく不便を感じて、親の世話がいかに行き届いていたか、どれだけその配慮の元、守られ助けられていたかに気づくということだろうが、私の場合、何不自由なく親がいたときと変わりなく生活を送れていることに気づいた時、親がいかに私を鍛え、自立するための教育を与えてくれたか、そのことを示していた。規則正しく、身辺整理を怠らず、日々を大切に生きること、それを何度も何度も無意識のレベルにまで刷り込む作業を私は知らず知らずのうちに親元で施されていたのである。一人の人間が、一人の人間として社会で生きること、それはとても尊い。私は一人、心で親に向かって、今まで感じたことのない崇高な感謝と尊敬の念を抱いた。

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hajime

Author:hajime
ぜひ、高校生や大学生などの青年諸君に注意深く読んでもらいたい。むやみに多読する必要はなく、知識や思想の力があれば悩みに打ち勝つこともできるのだ。僕自身が高校時代から現在に至るまで苦悩と苦悶を繰り返しながら、懸命に人生について、「善く生きる」とはどういうことか、ということを真面目に考え、行ってきた事実をここに記している。その内容はきっと青年に役立つであろうと思わないではいられない。

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