先入観は誤りに導く 世襲は負の連鎖 世襲や民族性の絶対的宿命


先入観は誤りに導く。

あらゆる人が手段のことばかり考えて、目標に目を向けようとしないのは、嘆かわしいことだ。誰でも自分の職分をどのように果たすかは考えるが、職業や祖国の選択については、運まかせだ。

あれほど多数のイスラム教徒、異端者、異教徒たちが、それぞれ先祖代々の生き方が最良だという先入観を植え付けられ、ただそれだけの理由で、その生き方を踏襲するのは、憐れむべきことだ。そして各人が、錠前屋や兵士といった、それぞれの職業を選ぶのも同じことなのだ。

―――

だからこそ未開人たちには、プロヴァンスなど無用なのだ。   『パンセ』 パスカル著より


世襲は百害あって一利なしだと私は信じている。世襲議員という場合にもっともよくつかわれる世襲というワードだが、議員に限らず、公務員やサラリーマンに至るまで、私は自分の親と同じ職業についている人間を憐れむべき人間だと思っている。自分は自らの意志でその職業を選択し、それが偶然親の職業と同じだったのだ。という反論はどうだろう?すでに、親があなたが生まれた瞬間にイメージするあなたの人生は親自身の人生になぞらえて形成されているので、あなたがいくら自らの意志を強調したところで全く説得力に欠ける。あなたはあなたの職業に達する道のりだけを目にしてきた、当然そこにたどり着くのは当然なのである。幸いなるかな、議員の子ども、社長の子ども、あなたがたはそうした深い考えもなく高給を得る道を閉ざすことができるではないか。自分の親とは絶対に同じ職業にはつかない!この固い決意は、反対や抵抗などの困難と努力を要するため、人間力を高める。私の体験では、親と同じ職業についている人間のその仕事に対する気持ちの薄っぺらさといったら驚くべきものだ。けれども、歌舞伎界に見られるように、日本特有なのか知らぬが、日本芸能や企業などは血縁によって継承されていっている。あらゆる争いは結局この”家族”という共同体で、この”家族”を守ろうとするところにすべての軋轢と矛盾が生じる。後継者不足、あるいは後継者は未定が当たり前になれば、その実態そのものが何か変化を迫られ、創意工夫が生まれるだろう。遺伝になどによって引き継がれるものは確かに大きいだろう、しかし、大切なのはそのものに対する熱意である。私はそうした世襲が当たり前の歌舞伎には興味を引かれないし、家族経営の会社は信用できない。一体、公務員の何パーセントが身内に公務員がいるであろう?サラリーマンのどれだけの割合がサラリーマン家庭で育ったことだろう。大卒の親のほとんどは子どもを大学へ行かせるだろう。私はそのすべてに不満があった。わかりきった未来を私は描きたくないのである。私はこの先、どれだけ断固否定できるだろう。

私は日本人であることさえ、否定したいし、先祖代々信仰している仏教でさえも否定したい。そのためには外国から日本を見てみることが絶対に必要である。私はどうしても、一度海外で生活するという経験をしなければならないと強く自分に課している。また、宗教も世界の様々な宗教に触れる必要がある―とはいえ、現代の宗教を取り巻く環境は非常に物騒で気が引ける。また、資本主義という世界の仕組みの中で、日本の国家としての在り方、政治や憲法も吟味していかなければならず、そもそもこの世界秩序も転換期を迎えつつあるのではなかろうか。この世界不況はもはや資本主義の終焉を示唆しているのではなかろうか。私にとって確実なことは、母国語が日本語であり、黄色人種であるということだ。日本語を扱い、日本語でものを考えることが、私が私であることだ。海外で暮らそうが、人種と母国語が変わるわけではない。世襲や民族のこうした絶対的宿命が存在することも疑い得ない事実である。この矛盾を慎重に解きほぐしていかなければならない。

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パンセ

古い哲学書は,おおむね普遍的なこと,どの時代どの世界にあっても,多数がその通りだと思えることが書いてあります。 

「先入観は誤りに導く」。から「運まかせだ」まで,これはいつの時代も共通です。


17世紀にあって,プロヴァンスという南仏の,極上の風光明媚とそれに調和してフランスのエスプリを具現するような境地においてはフランスは最もうつくしく,野蛮は憎むべきものとなる

野蛮を憎む,というのは,しかし非常に偏狭で一面的で,多様性のあっさりした否定です

パスカルが生まれたのが,砂漠や岩石だらけの小アジアであれば,はたしてこのような感性をもつことができるか?水のないところで生き抜く雑草しかないところでそれでも雑草の中にちがいや,好悪をおもうことができるか?

生命力にエスプリは必要か?w南仏は「神の恵んだ」環境が美しい,つまりプロヴァンスの美しさは,たまたま努力無く手にした世襲にすぎないのではないか?

いやそうじゃない,プロヴァンスの美しさはフランス人がいたからこそ,残されて伝えられてきたんだ,というか?
ならばそれもじつはひろい意味では「世襲」のおかげでつたえられてきたのではないか?


パスカルほどの賢人でもこのような誤謬をおかすのか?,

しかしパスカルは「職業や祖国の選択については、運まかせだ」
といっている。

ジツは矛盾したことを言っています。
その整合性はパスカルに在っては,どこで決着をつけられたのか?ということを考える,考えさせるのが哲学書の深さですね。

この時代を少しは知らないとわからないこともあります。多様性,というものもっと言えば多様性を,「民族ごとに確立された文明」ごとに,それぞれみていかなくてはならない,という時代の複雑さは,20世紀にはようやく常識となった。
そこに至るまで,パスカルを代表とする西欧文明は,その正義に基づいて,新大陸のインデイオを虐殺し,アフリカで奴隷貿易のシステムを作り上げた。アジアを植民地とし,西欧は繁栄をつづけた。

これらが完全に否定されるには20世紀の世界大戦をへなければならなかった。


普遍的真理は,パスカルはキリスト教が絶対であるという,「特殊」な時代にあって思索を続け導き出されたものにすぎない,そういって今の時代には,このパスカルの生きたこうした古い「特殊」な時代の考え方を,あっさり否定することができてしまいます。

もっといえば「ではイスラム教や異教徒はだめなのか?」という疑問をつきつけてたたかいを挑む強靭な哲学が,ジツはすぐ直後から,現代にいたるまでつぎつぎ生まれつづけていたわけです

だからこそ哲学は「上書き」されてきた,しかしフランスの16,7世紀の哲学もまた,すてられずに古典としてよみつがれ続けている,魅力があるからでしょうネ。「文」の魅力でしょう,そこにある「Pansee」に魅力があるからです。
ww
わたしはね,Hajimeさんは本質的にはマッタク功利的ではないと思っています。

もう4年前になりますかw
最初に会話したときは確かキェルケゴオルかなんかだったとおもいますが・・・・そもそも昔の哲学を読む,そのために時間を使う,そのことジタイすでに,現代人には何のタシにもならない,とされるのが日本ですから。

「イヤ,まったく無駄なことではない,と思いたいんだっ」という悲鳴のようなものもHajimeさんのことばからわたしにはきこえますw,

「功利的」という言葉をわたしはいつも,あなたにイチャモンつける時に,わざと・・・「戦略的に」といっていいでしょうか,つかいますが,実際,功利でありたいというのは人間の本能です。

何が無駄か,利となるか,その価値は自分だけが決められるんです。
究竟,自分が基準です。

その価値観まで左右させよう,ねじまげようとすること,これが正に「自由」の対極にあるものです。だから,Liberty,Freeを,解放とか奔放,といわず「自由」というんです

玄さんへ


こんにちは。

あるときから、私は哲学書や小説、宗教に至るまで、こうした思想的側面を持ったものは畢竟同じことを言っているのではないか、堂々巡りにすぎないのではないかと考えるようになりました。読むこと書くことに意味があるのだろうか。愚直に、読んで書いていていいのだろうか。もっと他にやるべきことが自分にはあるのではないか?最近特にこのことを思います。”その整合性はパスカルに在っては,どこで決着をつけられたのか?ということを考える,考えさせるのが哲学書の深さですね”、私は小説にしろ哲学書にしろ、文学の全般、芸術の分野まで、表面、あるいは核心のところに気を取られ、もっと深いところ、逆にその全体が見えてなかったということに気が付きました。また、”何が無駄か,利となるか,その価値は自分だけが決められるんです。
究竟,自分が基準です”、その価値をもう一度考え直さなければ前に進めないという感じがしています。読んだり書いたりというのは生活の一部のようなもので、それとは別に行動的なことの模索を始めたところです。私が読むものをなぜその作者は書いてくれたのだろうか?それがまだ私にははっきりとわかりません、それは私が未熟だからか、それとも才能が無いからか。もう少しこの判断のために考究しようと思いますが。古典をある程度読んで、現代の文学の世界を眺めてみると、妙に納得してしまうというか、書いている内容の変遷は理にかなっている、と思えます。そして、もう十分に仕事が果たされたのではないかとまで思えてしまいます。”「文」の魅力でしょう,そこにある「Pansee」に魅力があるからです”、結局こういうことなんでしょうね。私もこの魅力についてもっと考えてみようかしら。

>この時代を少しは知らないとわからないこともあります。
私に絶対的に絶望的に足らないところです。歴史的背景や時代の流れに対する知識と感性が欠けています。理系の性でしょうか、そのようなものの考え方がどうしても苦手で、優先順位で後手後手になってしまいます。そのことを玄さんは見抜いていらして、私にイチャモンや忠告を下さる、ありがたい限りです。分かった気でいるみたいだが、甘いぞと。パスカルがどのようなところでそうしたことを考えたのか、それはどのような意味を持つのか、そう考えると一層、価値のあるものになりますよね。”17世紀にあって,プロヴァンスという南仏の,極上の風光明媚とそれに調和してフランスのエスプリを具現するような境地においてはフランスは最もうつくしく,野蛮は憎むべきものとなる”これを同時に考えられるか否かの差は非常に大きい……。それでも、恥知らずにも思うことを書く、書くことでしか得られないものはあるはずですし、隠したところで未熟なことには変わりない。だったら、指摘してもらえた方がよっぽどいい。文章になっている言葉はけっこう心に刺さり、残りますね。


4年にもなりますか、早いですね。確か私は初め、玄さんを気のいいおじさんだと思っていました。あるときそうではないと気が付いたのですがw。すみません。懐かしいです。

やはり伝わるものですね、悲鳴なようなものですか、人生の悲哀、そんなことを言える年齢ではありませんが、悲しみとやりきれない思いがあります。

いつもメッセージありがとうございます。いろんなことに気づかされます。そこから新たな思考が始まります。

気のいいおじさんですかw


よくいわれます。本人目の前にしても「オッサンなこといいますね」,とか

>歴史的背景や時代の流れに対する知識と感性が欠けています

知識というのは断片的なもので,それをつなぐなにかが見つかるとすらすら解けるようなものかもしれません。感性が欠けてる,と思えるのはそこに切実な興味をまだ感じない,ということで,それはいつか感じればすらすらとあっさりと,カッテに感性が対応するものです。いまのところ切実に必要ではない,ということかもしれませんし

わたしも,歴史や背景を考えて文學に接するようになった,それがあたりまえのこととなるまでにはずいぶん・・・・ほんとにずいぶん時間がかかりましたよ。若いうちはムリでした。
でも周りにはそれが簡単にできてる人もいましたし,わたしよりもっと『そういうことの感性がなさそう』に見える人もいましたし。あえてそれをしてはいけない,純粋に文学を楽しめないじゃないか,と言い張る人もいます。ひとはいろいろ。

文学には魅力があり。力がある。
そのことが信じられること,一番大事なことでしょうネ。書かれた「文」にとっても。
「文」と自分の間には雑音を混ぜてはいけないとも思います,

背景も歴史も自分の価値観を通じてつかんだものでなければ,いくら知識を詰め込んでも「文」の理解には何の役にも立たないもの,雑音になってしまいます。それこそ文学を感じるには邪魔で無駄です。

ただ自分の中で消化したものは,それは,以前より,より研ぎ澄まされた感覚となって,文の声がよく聞こえてくる,色が鮮やかに見えてくる,ということはあるとおもいますよ。
それはたとえば,日々の生活や仕事で得たもの,恋愛や旅で得たもの,Hajimeさんの個性として結構滲み出てると思いますがw

玄さんへ


失礼なことを申してすみませんw。それこそ先入観ですよね、偏見も混じっていたかもしれません、いずれにしてもいい意味で特異な存在であることには変わりありません。親しみやすい感じがしたんです!

そうですね、切実に必要ではないという認識なのでしょう、これを矯正することも可能ですし、この懸念を抱きながら文学に接していくことで少しずつ変化に期待するということもできそうです。これでいいと肯定してしまうのはなんだかもったいない気がします。たしかに、純粋に文を独立したものとして読めばいいという考え方もありかもしれませんが、まだまだ若いので可能性を探っていく方がいいかと思います。

玄さんでもそうでしたか、それならばなおさら私がそのような状態に陥っているとしても大きな不都合はないと信じます。周りに文学を愛好する方々がいらっしゃった、いらっしゃるというのもその姿勢の変化に大きく影響しているでしょうね、その点で私はやや不安であります。

文学には魅力があり。力がある。
そのことが信じられること,一番大事なことでしょうネ。書かれた「文」にとっても。
「文」と自分の間には雑音を混ぜてはいけないとも思います,
本当に、この”信じること”かな、って思います。もっといえば生きること自体が”信じること”に支えられてるのではないでしょうか。生きる意味を考えるのではなく、生きることを信じられるか、私はまだこの生きることに疑いがある気がしてなりません。

>背景も歴史も自分の価値観を通じてつかんだものでなければ,いくら知識を詰め込んでも「文」の理解には何の役にも立たない
認識に対する姿勢が不明確であるために、日本の歴史にしてもそうですが、事実はあらゆる側面を持ち、様々な事実が重なり合ってできているゆえ、客観的にというのが難しく、正しい価値観を指標にして判断する必要があると考えるので、要はその部分が弱いようです。

>ただ自分の中で消化したものは,それは,以前より,より研ぎ澄まされた感覚となって,文の声がよく聞こえてくる,色が鮮やかに見えてくる
私は想像力が弱く、どうしても自分の経験やそれに伴う思考に依って理解することしかできず、常に妙なリアリティと再現が付随します。なかなか書いている私自身である以上、この個性の滲み出?を感じるのは難しいので、そうおっしゃっていただけたのは何より収穫です。貴重なご意見ありがとうございます。
プロフィール

hajime

Author:hajime
ぜひ、高校生や大学生などの青年諸君に注意深く読んでもらいたい。むやみに多読する必要はなく、知識や思想の力があれば悩みに打ち勝つこともできるのだ。僕自身が高校時代から現在に至るまで苦悩と苦悶を繰り返しながら、懸命に人生について、「善く生きる」とはどういうことか、ということを真面目に考え、行ってきた事実をここに記している。その内容はきっと青年に役立つであろうと思わないではいられない。

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