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思想の終焉 自然とは習慣である 色即是空、空即是色 諸行無常 光と共にあれ

父親は子供の自然な愛情が消え去りはしないかと心配する。だが消え去りかねない自然とはいったい何だろう。

習慣は第二の自然であり、それが第一の自然を破壊する。

しかし自然とは何か。どうして習慣は自然でないのか。

もしかして、この自然それ自体、第一の習慣にすぎないということはないのだろうか。ちょうど習慣が第二の自然であるように。   『パンセ』 パスカル著より


私は特定の宗教を信仰していない。信仰なくして生きていけるとは思えないので、おそらく慣習と習慣をぼんやりと無意識に信仰しつつ、「自然に帰れ」との教えに従って生きてきたように思う。だが、この「自然」に関しての考察はあまりに心もとないものであった。木々、草花は太陽にむかって葉を伸ばす、これこそ自然だと私は信じて疑わない。しかし、りんごが地面に重力によって落ちること、これが自然の摂理だと説明することは不十分だと感じる。では人間にとっての自然とはなんであるのか?私たちが自然だと考えることのほとんどが慣習であり、常識と呼ばれるもので、習慣によって定番化された人為的なものなのだ。私が自然だと考えてきた多くのことが、人類のそれほど長くはない歴史と習慣によっていつの間にか草花に見られるような自然と同質のものとみなされるようになってしまったものだったのである。人間は習慣によってあらゆることを抵抗なしに受け入れることができるようになり、この抵抗なしに受け入れることを、本能だとか良心、自然であると誤解しているにすぎないのではないだろうか。ここに思い至ったとき、とうとう私は従うべき人生の教えを失ってしまった。自分自身に人としての道を、こう生きるべきであると課し、示すことができなくなってしまった。同時に私は「色即是空、空即是色」とこの世界を見る。「色、形のあるものはすべて、色、形のないもので、また色、形のないものが、すべて色、形なのである。」科学的に、数式的に考えるとこれは偽であり、意味を持たない。しかし、私は真実以上の揺るぎない確かさを感じる。私の言動は自ら選択した立場、あるいは決定した主義に基づく。正義や幸福は必ず負の感情を生み出す。私たちは確かに、正義や幸福に魅了され、それらを希望する。だが、ここにこそ元凶があるのも否定できないことであろう。愛は美しい、けれど私は愛よりも空である無でありたい。人を傷つけない恋はないという。悲しみのない愛はないという。正義も幸福もない、諸行無常の一刹那を空として無に生きる。想像力も意志の力も措定することさえできない。私はここに思想の終焉をみる。木々、草花が太陽に向かうがごとく、私は光に向かう。芸術もまた光を捉えることにほかならない。光と共にあれ。

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No title

「思想は立場の選択であり」

ちがいます。

"思想" することは

そもそも本来選択以前の行為でした。

思想とは,それぞれの立場が,思い想う理念を,別の一人が孤独に吟味すること,主体的な個性が "思想すること",という意味でしかありません。

主体的に考えた結果それを選択することは,
思想ではなく,選択です。

選択とは,必ずしも選択する必要もないことをあえて選択することを選択というのです

ニホンジンは思想とは,何々主義を標榜することだと勘違いしている人が多い。
しかし西欧で,それを言ったら笑われます。

"思想" することは, "葦" の生きるための必要十分条件,権利であり義務です。

選択はそのうえで人があえてリスクを取って自分の生き方を規定することです
日本では "思想" とは主体をもった行為,ではなく
~思想,という「他人の持論」のことをいいます。

なぜか?
主体性とはよいことではない,と考える空気が日本にはあるからではないですか?
自ら考える,いうのは何度も繰り返しますが,自分のままならない苦しい現実の中で,だれからも干渉されない,完全に自由になりうる数少ない領域です。

penséeを翻訳してごらんなさい,中國語でも英語でも思想とでてきます。
日本では,pensée,はパンセです。フランス文学者は,日本語の思想という語が,どうもおかしいな,とおもっていたからこそ,パンセとしたにちがいありません。

そのことをよく考えてパンセを読み返して御覧なさいとしか言いようありません。

「色、形のあるものはすべて、色、形のないもので、また色、形のないものが、すべて色、形なのである。」この観相を選択するにいたるまでの過程,それがパンセであり,あなたの思想です。

これが世界でだれも気付かなかった考えの表明であれば,これはHajime思想とよばれるでしょう,たとえ人からそう呼ばれなくても,これは現時点のHajimeさんの思念の結果です。それを選択して生きるかどうかとは別の,
Hajimeさんの "想い" です。これに理がともなえば理想となりますね

想は,相に心というのはそういうことです。

習慣というものをじつは,罪と重ねあわす,これは仏家の思想です。
キリスト教は,人は原罪あり,原罪を購うことが生きること,救われることといいます。

そしてイエスはまず購われた,あなたはそのことをどう思いますか,と問いかける。

ブッダは,本来生まれる時は無垢であり,生きていくにつれて悪い習いに染められていく,本来の自己の無垢,無碍を取り戻すのは自分の責である,といいます仏経は,積習,結習ということばで,罪を表します

どちらがいいとかではなく,同じことを言ってるのですが。

玄さんへ


こんばんは。ご指摘ありがとうございました。訂正し、言葉としての正しさに近づくよう努力いたしました。

パンセが思想ではなく、パンセと訳されているのはとても納得です。
思想という言葉をまさに、何々主義を標榜することだと勘違いしていました。
実際、ブログを書き始めた当初、思想というジャンルで書いていましたが、思想とは違うと感じました。なぜなら何々主義を標榜し、あるいは宗教に関することでなければならないと思えたからです。しかしそうではなく、”思想とは,それぞれの立場が,思い想う理念を,別の一人が孤独に吟味すること,主体的な個性が "思想すること",という意味でしかありません”。主体性とは良くないと考える空気、たしかにあるように思います。けれど、西欧の文化、思想に肌で触れたことがないので、どうしてもそのことを強く感じることができません。若者は海外に出よと昔から言われますが、本当にその通りだと思います。私もずっと西欧、特にフランスでそこに根付いた思想と文化の中で暮らしてみたい、そう思い続けています。それが実現できていないのは、もちろん私の努力不足の何ものでもないのですが、困難があることもまた事実であります。まだまだ本当に未熟なので、ぜひご指摘、ご教授をお願いいたします。

間違えるつもりはなく、事実を歪めるつもりもないのです。ただ、未熟なだけなのです。

いつもありがとうございます。

No title

Hajimeさんがこのブログでやってらしたことがまさに本義の思想だと思っています
そもそも,もとはそのいみで,このブログのタイトルを付けたのではないですか?
わたしがこのブログが好きなのもまさにそこなんです,ここに思想している人がいるぞ,とみつけたからですw

わたしも散々間違え放浪してきたわけですから共感するのです

「一般に孤独への衝動は精神の徴候であり精神のありかたを量る尺度である。」

まったくおっしゃるとおりですね
放浪しましょう

玄さんへ


私がこのブログをやっているのは浮かんでは消える、とどめておくことのできない思想を不格好ながらもとどめ、一層考えを深めていくためですが、本義の思想とおっしゃっていただきとてもうれしく思います。
正直、無力で弱い私にもできることは何かと考えたとき、それが思想でした。
見つけてくださったときは本当に感激したものです、ブログタイトルにも言及してくださいましたね。玄さんから言葉を頂くとき、自分がやろうとしていることは間違っていない、とそんな風に勇気づけられます。

放浪を肯定する方もなかなかいらっしゃいませんよね!放浪しましょうなんて感動してます。
プロフィール

hajime

Author:hajime
ぜひ、高校生や大学生などの青年諸君に注意深く読んでもらいたい。むやみに多読する必要はなく、知識や思想の力があれば悩みに打ち勝つこともできるのだ。僕自身が高校時代から現在に至るまで苦悩と苦悶を繰り返しながら、懸命に人生について、「善く生きる」とはどういうことか、ということを真面目に考え、行ってきた事実をここに記している。その内容はきっと青年に役立つであろうと思わないではいられない。

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