運命の時 人はどこまで利己心を抑えることができるのか 悲しみよこんにちは


生活がいくらみじめであろうと、そこから顔をそむけたりはせず、ありのままに生きることだ。自分の生活を避けたり罵倒したりしてはいけない。それだって当人ほどは悪くないのだから。生活は、諸君がいちばん富んでいるときにいちばん貧しくみえるものだ。粗捜し屋は天国にだって粗を見つける。貧しくても、生活を愛したまえ。救貧院にはいっていようと、楽しくて胸のときめく、すばらしい時間はあるだろう。落日は金持ちの邸宅の窓だけではなく、養老院の窓からも、おなじようにあかあかと照り返る。春がくれば、雪はおなじようにはやばやとドアの前で溶ける。おだやかな心の持ち主なら、そういう場所に住んでいても、宮殿にいるのと変わらない満足感や、ひとを奮い立たせる思想をいだきながら生きていけるであろう。私には、町の貧しい住民のほうが、だれよりもひとさまの世話にならないで暮らしている場合が多いように思われる。ことによると彼らは、なんの気がねもなく施しを受けることができるほど立派なひとびとかもしれない。たいていの人間は、町の生活扶助を受けるなんて沽券にかかわることだと思っている。ところが、不正な手段で暮らすことは別に沽券にかかわることではないというわけだ。そのほうがよほど不名誉なはずなのに。賢人に倣って、貧しさを庭園のハーブのように栽培しようではないか。衣服であれ友人であれ、新しいものを手に入れようと、あまりあくせくするべきではない。古いものを裏返しにして使い、つねに古いものへと立ち返ろう。世間はちっとも変わりはしない。変わるのはわれわれのほうだ。衣服を売って思想を守ろう。神は、交際する相手が絶えないよう、諸君を見守ってくださるだろう。仮に私がクモのように、終日、屋根裏部屋の片隅に閉じこめられていたとしても、自分の思想を失わないでいるかぎり、世界は少しも狭くなりはしない。   『森の生活』 ソロー著より


私は収入になど拘泥しなかった。どんな仕事であれ、一生懸命に働くこと、それ自体がすばらしく、その仕事に対して一生懸命になれるかどうか、それが重要であった。お金を稼ぎたければ、多く収入を得たいのならば、資本主義精神に則って、資本によって利益を得ればいいのである。世の中の人々がお金を欲しがっていながら、きちっとした投資や資本の運用を考えていないのが私は不思議でたまらない。発展や進歩、成長は資本あって実現されることであり、そのための投資であるのだから、経済に逆行するような理念を持たなければ、資本が成長によって商品などの何か別の価値を生み出すのは当然である。そこに利潤が生まれるわけで、資本家は豊かになり、労働者はいつまでたっても豊かにならないということになるわけだが、資本家である必要があるのではなく、投資と資本の運用をしているかどうか、これが物質的豊かさを左右する問題である。

ところが、世間には金持ちが散見される。高級車に乗って、立派な邸宅に住み、高価な外食を楽しみ、ブランド品を身につけている大人が街にはあふれている。それらは不正な手段で暮らしていることを堂々と主張していることにもなりかねないことを、彼らは理解しているのであろうか?資本による利益でなければ、どうして彼らは利益を得るのことができるのであろうか?労働に見合った報酬!という幻想。だれもが汗水たらして働くことほど金にならないことを知っている。金は努力や思いやりではなく、信頼と価値の指標にすぎない。私は、私が私自身の手によって果たすことの出来る、労働力の対価として報酬を頂くのでなければ仕事をすることはできない。自分が果たした社会的意味ではなく、エネルギーとしての労働力を蓄え、それをお金によって発揮することの権限を与えられることで満足したい。

だが、私に愛する女性や家族がいたとしたら、事態は複雑である。私は彼女を愛しているが、愛すべき彼女であることはつまり彼女が決して豊かではない暮らしをしているということである。私と価値観を共有し、すぐれた思想を持っているのである。しかし、女性である彼女は、ああ!もっと美しく華やかに生きることもできるだろうに!私に物質的豊かさがあれば、彼女はもっと楽をできるだろう、伸びやかに朗らかに生きることができるかもしれない。私は大いなる矛盾にぶつかってしまった。私の選択が彼女を不幸にしてしまうのではないか?若く美しい女性であるから、引く手あまただ。大金持ちと結婚することも、質素であるかもしれないが、安定して保障もある公務員と結婚することだってできる。しかし、私が身を引くのでなければ、彼女はおそらく少なからず自己嫌悪を感じるであろう、私はなんて自分勝手で欲深い女なのかしら、と。私の励ましもむなしく響く。人は誰もが幸せにならなければならない、君の信じる幸せを君はつかむんだ。私はどれだけ利己心を抑えることができるだろうか?最大のエゴとの葛藤が始まった。

私の幸せは必ずしも彼女の幸せと合致するわけではない、だとすれば彼女の幸せを第一に考える、それが愛するということだ。
時間はない、運命の時が迫っている。語るべきことは語り、綴るべきことは綴った。私は愛を感じ、切なさを知った。自分のやさしさに似た愚かさと、卑怯なずるさを発見した。あの一瞬、私は愛に身を捧げえたのに。

許す愛があれば、欲する愛もある。「奪ってよ、私をなりふり構わず奪ってよ」彼女は涙を流しながら、悲しげに、そう言った。
嫉妬の炎は私を焼いても、愛と情熱の炎は燃えあがらなかった。破局は目前にある。破局は免れても、重たい悲しみの雲が二人の間にとどまるだろう。悲しみよ、こんにちは。

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hajime

Author:hajime
ぜひ、高校生や大学生などの青年諸君に注意深く読んでもらいたい。むやみに多読する必要はなく、知識や思想の力があれば悩みに打ち勝つこともできるのだ。僕自身が高校時代から現在に至るまで苦悩と苦悶を繰り返しながら、懸命に人生について、「善く生きる」とはどういうことか、ということを真面目に考え、行ってきた事実をここに記している。その内容はきっと青年に役立つであろうと思わないではいられない。

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