ネット社会は情け深い コツコツ続けよ

この日以降、ゲルマントのほうを散歩するとき、以前よりいっそう嘆かわしく思えたのは、私に文学の素養がなく、いつか有名作家になる夢は諦めるほかないことだった。ひとり離れて夢想にふけると無念の思いに苦しめられたから、私の頭はそんな想いをしなくてすむよう苦痛を前にいわば自己規制をかけ、詩句や小説はもとより、才能の欠如ゆえに当てにできない詩人としての将来などはすっかり考えるのをやめた。すると、このような文学的関心から離れ、それとなんら関係なく、突然、とある屋根や、小石にあたる陽の光や、土の道の匂いなどが私の足をとめ、格別の喜びをもたらしてくれた。それらが私の足を止めたのは、目に見える背後に隠しているように感じられるものを把握するよう誘われていながら、いくら努力してもそれを発見できない気がしたからである。それは対象のなかに存在するように感じられたから、わたしはじっとそこにとどまり、目を凝らし、匂いをかぎ、わが思考とともにそのイメージや匂いの背後にまで到達しようと試みた。祖父に追いついて散歩をつづけるほかないときは、目を閉じてそれをふたたび見出そうとした。私が、屋根の線や石のニュアンスなどをなんとか正確に想い出そうとしたのは、なぜかわからないが、いまにもそれらの蓋が開いて詰っている中味を引き渡してくれるように思えたからである。もとよりこの種の印象は、いつか作家や詩人になるという私が捨て去った希望をとり戻してくれたわけではない。そうした印象とつねに結びついていたのは、知的価値のない、いかなる抽象的真理とも関係のない、特殊なものだったからである。それでもそれらは、すくなくとも説明のつかない歓び、実り豊かな幻影をもたらしてくれたから、私が偉大な文学作品のための哲学的主題を探し求めるたびに感じていた憂鬱やわた身の無力感に悩まずにすんだ。しかし、このような形や香りや色の印象が私に課した、その背後に隠れているものを見出すべく努めよという良心の義務はあまりにも過酷で、すぐに私はこの努力や苦労を免れる口実を見つけ出す。さいわい両親が呼んでいて、いまはこの探求をつづけても成果を得るに必要な平常心が備わっていないのだから、家に帰るまでは考えるのをやめ、前もって無駄な苦労をしないほうがいいと感じるのだ。こうしてある形やある香りにつつまれた未知のことがらにかかわるのをやめると、心が安らかになった。   『失われた時を求めて』 プルースト作より


『失われた時を求めて』を読んでいるとき、以前よりいっそう嘆かわしく思えたのは、私に文学の素養がなく、いつか有名作家になる夢は諦めるほかないことだった。それまでの読書では私はどちらかというと文学に対して前向きになれた。なぜなら、どんな書物にも私が今まで考えたことのある問題や途中で行き詰った思想の続きが記されており、それらは頗る体裁は美しかったが、努力次第では手の届きそうな領域にあるような気がしたからである。だが、『失われた時を求めて』に綴られる心象の描写などによってつくられる独創的な世界では、私は異邦人さながらであった。同じ文学であるのに、言語の扱い方が全く異なるのである。これが20世紀かと私は思った。天才が天才のままに描く文学の圧倒的存在感を前に私は立ち尽くすしかなかった。私がとらえようとしていたものは偏狭な哲学的主題で、そこに注意しながら小説を読むゆえ、事実が隠しているように感じられるものを把握しようという、物語の奥深さを味わおうという、本来あるべき読者の姿勢を忘れていた。こうして『失われた時を求めて』のような格段に優れた小説に触れることで、小説家になるとかいう幻想を追うのをやめて、単純に文学作品がとても面白く感じられるようになった。文学を諦めている身であることを自覚しながら、その貧弱さから抵抗を感じないブログを書くという行為は私に新たな楽しみを与えてくれた。いつか作家や詩人になるという私が捨て去った希望をとり戻してくれたわけではないが、文中の鮮烈なフレーズから、わが思考とともにそのイメージや事実の背後にまで到達しようと試みる動機を与えたのだ。しかし、その要求は過酷で、私はどうしてもこのように劣化した私の内部に引き起こされる、人間共通の感情を表現することしかできず、いっそのことブログでさえ、その筆をおいてしまおうという気になる。それでも、このネットワークサービスは、人間社会の中で働いているだけあって情け深い。私がネットの世界での文学活動をおしまいにしようと思っていると、もう少し続けなさいと言わんばかりに施しが与えられる。私はそのたびに勇気づけられ、励まされ、活動を続けることができる。ネットの世界で学ぶことができた大事なこと、それは「コツコツ続ける」である。

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地道は大道

わたしはいまはフランス文学から遠く遠く離れてしまっていますが・・・。「失われた時を求めて」,これを読み終えたときしばらく他の何も読む気が起きなくなるという,喪失状態に陥ったこと・・・・,何か読むべき最後のものを読んでしまった,というような後悔にも似た・・・・。
なつかしく思い出します。
おもうに,この小説を読むと,だれもが “小説”というものそれ自体について深く深く考えさせられるようです

そうして,新たに “文学” の意味をかんがえることとは,自分の「感性」を再確認することでもある,とおもいます

文辞,テキストの構築の隙間で,息も絶え絶えとなりがちな「感性」こそが “文學” のなりたち,動機であったということも。そして哲学も思想も,その「感性」が求めるものだったということも。

有るがままの感性だけでは文学を攻略することはできない,とはいえ,むずかしさを追いかけることは,努力次第で誰でも同じ地平に立つことができます。
同じ地平にあって,ちがうものとはなにか?また,なお同じいものとはなにか?それが特徴と普遍,いいかえれば個性と本質(つまり彼の言う「抽象的真理」),だとおもいます


一方,詩はその感性と感性のぶつかり合い,「ブッダのことば」などまさにそれ,そのアルカイックな原初の形の消息をつたえてくれるものでした。簡単すぎてつまらないものにもおもえる真理,感性のせめぎあいからおこった素朴な真理,の最たるものですね

玄さんへ

返信遅くなり申し訳ありません。

玄さんにも「失われた時を求めて」のすてきな思い出があるんですね。あらためてすごい作品ですね。文学でこうして共感やつながりを感じることができるのはとてもうれしいです。仮に小説観というものがあれば、それに新たな視点を加えたような私にとってそんな重要な作品になりました。

>有るがままの感性だけでは文学を攻略することはできない,とはいえ,むずかしさを追いかけることは,努力次第で誰でも同じ地平に立つことができます。
同じ地平にあって,ちがうものとはなにか?また,なお同じいものとはなにか?それが特徴と普遍,いいかえれば個性と本質(つまり彼の言う「抽象的真理」),だとおもいます
すごくしっくりくる表現です、その通りですね。ほんとうに造詣が深いですね、頭が下がります。

玄さんといえば、やはり詩に対する鋭くやわらかな感性というイメージですが、きっと私とは違ったように世の中や文学が映るのだなあと、格のちがいを感じています…

どうぞ今後もよろしくお願いいたします。
プロフィール

hajime

Author:hajime
ぜひ、高校生や大学生などの青年諸君に注意深く読んでもらいたい。むやみに多読する必要はなく、知識や思想の力があれば悩みに打ち勝つこともできるのだ。僕自身が高校時代から現在に至るまで苦悩と苦悶を繰り返しながら、懸命に人生について、「善く生きる」とはどういうことか、ということを真面目に考え、行ってきた事実をここに記している。その内容はきっと青年に役立つであろうと思わないではいられない。

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