失いつつある若さに対するぼんやりとした不安

この世のむなしさが見えないのは、おのれ自身がよほどむなしいのだ。だからそれは誰にでも見える。もっとも若者は別だ。彼らは皆、騒ぎと気晴らし、そして将来の計画のうちにあるのだから。

だが彼らから気晴らしを取り去ってみよう。倦怠でふさぎ込むのが見られるだろう。彼らはそのとき、我知らずおのれの虚無を感じている。おのれを見すえてそこから目を離せないように追い込まれるやいなや、耐えがたい悲しみに陥るのは、なんとも不幸なことではあるまいか。  『パンセ』 パスカル著より


私は周囲の人と同じようにしていては彼らと同じような生き方しかできぬ、と思い、何か特別なことはせずとも一人の人間としてこの大地に存在しようと、その一心で自分を矯正してきたのであった。賢人の言葉を探しまわり、名著と呼ばれるものを読み漁り、それに倣い、習おうと、そんな風にして若い時代を過ごしてきた。私はこれで、他人、いわゆる常人よりも抜きんでたつもりでいたのである。若者の好むものを退け、若者が楽しむべき気晴らしを遠ざけた。それゆえ早くにこの世のむなしさが見えたのかもしれない。バブル期でもなく、青春を知らぬ私がこの世の喜びを知るすべはなかった。生きてきたこの全世界が次第に荒廃していき、色あせていく悲しみ。燃えるような恋を私は知らない。情熱と呼ばれる若者の特権は身に覚えがない。

私はもう若くなくなった。手にはシミができるようになり、前よりも物覚えが悪くなり、物忘れするようになってしまった。衰えが始まったのである。失われていく若さを前に、生きる意味が分からなくなっている。もしかしたら、芥川龍之介のぼんやりとした不安という自殺の動機は私のこの若さを失っていく、衰えを感じ老いていくことへの不安、さみしさをもっと、もっと壮大にしたものかもしれない。失いつつあるこの現在にしがみつかんとしている自分がいて、まだ私が自覚せずにまさに若さの知行合一、若さそのものであるがゆえに、若さを感じることが出来ないその時点を切望しているのである。二度と戻れぬ、そして若さを体験せずに過ごしてきた人生を否定するつもりはないが、なにかを妬み、羨んでいるのが現在の私である。尾崎豊はこの歳で死んだ。私は彼の年老いた姿というのがどうしても想像することが出来ない。藤村操はもっとずっと若かった。芥川龍之介や太宰治も若さを使い切る前に死んだ感がある。そうした若さを持ちながらにして世を去ることが、何か救いのように見えることがある。私に足りないのは勇気と気力だけだ、という気さえする。ただ衰え、老いていく、そして死ぬ、このむなしき世界に私はなにを望めばいいというのだろうか。アンチエイジングが多くの人間の関心ごとであり、現代の流行りである、私もそのつまらぬ人たちの仲間入りというわけか、くわばらくわばら。

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まったくねぇ。
若さというのは、若いやつらにはもったいないよねw。

青梗菜さんへ

こんばんは。
コメントありがとうございました。

若さを失わないように、けれど確実に失われるものだから大事に大事に使ったつもりだったんですが、やっぱりだめでした。これでよかったのだろうかという後悔の念はどうしても起こってきます。
でも、若さを最高に活かして生きている若者もいないような気がしますね・・・幻想でしょうかね。

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hajime

Author:hajime
ぜひ、高校生や大学生などの青年諸君に注意深く読んでもらいたい。むやみに多読する必要はなく、知識や思想の力があれば悩みに打ち勝つこともできるのだ。僕自身が高校時代から現在に至るまで苦悩と苦悶を繰り返しながら、懸命に人生について、「善く生きる」とはどういうことか、ということを真面目に考え、行ってきた事実をここに記している。その内容はきっと青年に役立つであろうと思わないではいられない。

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