憎き己の未熟さよ 人は変われるものでしょうか


僕は現在に至るまで一度も、自分自身を善い人間だと感じたことがない。無論思ったこともない。むしろ僕は傲慢で冷たい悪い人間であった。そのことに気づいたのはずっとあとになってからだった。非難され、批判され、叱られ、嫌われ、避けられ、そうして初めて自分にその原因を認めた。僕は必死に人に好かれようとした。しかし、それは機嫌をとり、追従することに過ぎず、人の心を理解する努力ではなかった。僕の孤独は改善されることがなかった。人の心が理解できない僕がかろうじて見いだすことができたのは、「善」であった。「善」を行えば、人に好かれる。そう考えることができたのだ。人の心を読むのではなく、本を読むことで代替としたのである。

このブログを読むと、僕がどれだけ愛の感覚を欠いているのかよくわかる。人は愚か、自然でさえも愛していないのではないかと思うことさえある。夕陽に輝く黄金の稲田を見て、なんの気の利いた言葉も美しい表現も浮かばない。美しいと思う。けれど、それ以上でもなければ、それ以下でもない。自然を自然として認識し、自然は美しいという概念の元そう感じ取っているにすぎない気がしてならないのである。また女性に対しても、異性であるから好むのであって、すべてが味気ない感じなのだ。

自己愛でさえ怪しい。けれど自分で納得と満足を感じている仕事にさえ、なにか不快を感じている。人の役に立っている、お金を頂いている、という感覚はあれど、休みを楽しみにしている自分に気づき、絶望する。こんな恵まれた労働環境にもかかわらず、僕は労働を厭っているのだ!働きたくないという感覚が自己嫌悪を強める。僕はなぜこれほどまで怠惰な人間なのか。愛にも欠け、勤勉さにも欠け、想像力にも、実現力にすら欠けている。

はたして人は変わることができるものでしょうか。

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No title

ひとは変われるけど,変わる必要もないときは変えなくてもいいのではないでしょうか?

変わる必要がなければ,なかなか変われないものだともいえるし。
もとにもどる,ということは変心とはいいませんし。

自己欺瞞のために変えようとしても変えられいのが,確固たる自我ではないでしょうか.

No title

いきなりで,ことばたらずかもしれません。
まだ変える,変わることを考えるほど,自我が確固たるものにはなっていない,そういうことです
あなたの年齢でそこまで決め付けてはいけないでしょう,善であれ惡であれ,まだまだ,これからではないですか?
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hajime

Author:hajime
ぜひ、高校生や大学生などの青年諸君に注意深く読んでもらいたい。むやみに多読する必要はなく、知識や思想の力があれば悩みに打ち勝つこともできるのだ。僕自身が高校時代から現在に至るまで苦悩と苦悶を繰り返しながら、懸命に人生について、「善く生きる」とはどういうことか、ということを真面目に考え、行ってきた事実をここに記している。その内容はきっと青年に役立つであろうと思わないではいられない。

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