なぜ「高卒」なのか、そこが問題だ

僕にとって「旧帝大」は偏差値が高いだけであった。そこにはなんの実相もなく、数字で順位づけられているばかりで大学ごとの特徴や校風、強い分野などの知識がまったく欠けていた。住む場所と偏差値、それとなんとなく興味のある、将来役立ちそうな分野が魅力的に紹介されている学部を選ぶのであった。もっと学問に対する真摯な姿勢と学問の真髄を感じ取っていたのならば違った道を選んだことだろう。しかし、僕の制限のことを考えてみればそれも怪しい。ひょっとしたら学問などを軽視し、学びと知識を疎んじていたならば成功や幸せを掴めていたのかもしれない。

ノーベル賞の発表があり、今年も日本人の受賞があったが、その受賞者の多くはやはり旧帝大出身で、たとえば名古屋大学はノーベル物理学賞受賞者を複数出していることなど、大学によって強い学部やその特徴は表れる。山中教授は京都大学で研究されていたようだが、京都大学の医学部(京都大学自体が)はとても魅力的であった。このブログに関していうと、たまに東京大学や京都大学、名古屋大学からアクセスがあることがある。その内容は夏目漱石の作品であったり、ニーチェに関するものだったりして、さすが旧帝大と思う。それ以外の大学からのアクセスはほとんどないし、あったとしても旅行とかそうしたものだ。国会議事堂からアクセスがあったときは嬉しかったし、なにより驚いた。また島津製作所などの大きな会社からもアクセスがあったりするが、やはり思想ジャンルの記事だ。それ以外のパナソニックなどは大抵旅日記をご覧になっているようだ。このように、全部が全部ではないが、おおよそのことは傾向として表れる。

僕は誰がなんと言おうと、彼らへ最大・最高の敬意を払いたい。科学の発展なくして人間の未来はありえない。商業主義がその成果を汚しているのは誰もが知っていることだが、それでも多くの命を救い、多くの人の不便を解消してきた。ペンは剣より強し。そうした道を選ばなかったのはなぜなのか?僕は聞きたい。まっとうな理由がないのなら馬鹿だからと言わざるをえないではないか。

最近の記事は多くの反論と反響をいただいていて、とてもうれしい。今まで精一杯、真剣に、真理と正論、つまりまともなことを書いてきたが目立った反応はなかったので、所詮世の中そうしたものだと痛感させられた。だが、人間は自己を他人によって否定されることをひどく嫌う。僕は人間の研究をしたい。もう少しおつきあい願いたい。

僕は今まで、「高卒」ということを考えてこなかった。ただ実感として、就職において「大卒」でないことは大きなハンデである。ああいったことを書く僕を「馬鹿」だと証明してくださったことは素晴らしい。だが、僕は聞いてみたい、なぜ「高卒」の人は大学進学を選ばなかったのか?僕は不思議でならない。常識的な考えで行けば大学進学の方がメリットがあるのになぜ、大学に行かないのか。そして、なぜ授業料なども安く、評価もされる国公立を選択しないのか?そこが知りたいのに、それに関するコメントは一切ないなんて!なぜ「高卒」なのかぜひ教えていただきたい。その理由によって馬鹿かそうでないか判断するにきまっているではないか。しっかりと例外を認めたのにもかかわらず、自らその例外には入らず、馬鹿として発言する意図がよくわからない。そうした卑屈になるべき理由ではないことで卑屈になる必要がどこにあるのだ。記事を書いている立場上どうしても僕の方が有利である。だから、もっと敵意をもって、痛烈に辛辣な反論、ときには暴言も結構だ。言葉には心が宿る。それくらいの気持ちがなければ、僕には伝わらず、僕も気づくことができない。もっと強く!もっと激しく!僕は批判され、非難されたい。新たな価値を創造し、見逃している価値に気づきたい。

誤解されることを僕は全く恐れない。そして、真意を見抜く力を持たなくてはならない。

コメントの投稿

非公開コメント

No title

勉強不足で、国公立なんて無理でしたよ~!

青梗菜さんのスカシっぷりには爆笑しましたが(笑) 私はもうちょい突っ込ませて頂きますね♪

>僕にとっての天才の定義……
なのだから主観であり、そこに客観的に…とか、一般的な…とかいう語句を配置するのは狡猾です。「僕にとって…」と言いながら「僕は多数派だぞ」と数量基準の原則をバックに付けているのです。

つまりhajimeさんは客観的、一般的な判断基準を主観としているということになりますよ。
その中核は「僕とは一般である」という主張になります。
一般的には私も一般の一員であり、その私が反論をしているなら、その命題には虚偽があります。

論理的には崩壊しているということです。
多分ですが、論理的であることに執着しているために
「僕より馬鹿な奴は馬鹿だ、何が悪い!馬鹿はドストエフスキーを一行だって読めやしない!」と言い切れないだけのように思えてしまいます。
誤解を恐れないのなら哲学者や文学者の名前や有名な学校の名前を羅列して持論に権威付けをするということを控えるべきです。
残念ながらとても弱く見えてしまいます。
読み手としては、ゲーテの名前を出されるとゲーテの記事を読む水準でここの記事を読みます。ドストエフスキーでも同じことです。当人の著作と比較します。

とは言え、分かりますよ♪
私はブログで詩と短編小説を書いてますが、たまに東京大学やコーネル大学、国会図書館などからアクセスがあります。いったい何故?とは思いつつ理解してもらえることを期待します。ですが、彼等からコメントを頂いたことはありませんね。発言しない者はいないのと同じです。
今年の夏休みも小中学生が私の詩にたくさんアクセスして来ましたよw 宿題のためにパクろうとしてw
変わらんのです。小中学生も東大生もhajimeさんも私も。と、青梗菜さんもw

なぜ高卒なのか? 本当に考えられるだけ考えましたか? 人に言えないような理由を持つ者もいるでしょう。本当に記憶力が良くない人もいるでしょう。
おそらく、hajimeさんは考えてますよね。
そんな理由、普通にいくらでも思い付く。
でも、「高卒を選んだ理由」を考えつくしてしまったとは書けない。何故なら、その中にはhajimeさんが構築しようとした論理が崩壊してしまう因子があるから。
偉大で優秀な者を賛美することにだけ視点を据えれば良かったのです。そこからhajimeさんの考える馬鹿は自然に浮き彫りになると思います。
ただ、馬鹿を馬鹿にするための論理としてはあまりにも脆弱だった。
それだけの事だと思います♪

真意をくみ取ってほしいというなら、まず何故にこちらがコメントするのかということをくみ取ってみてほしいです♪
要するにですね。
遊びたいんですよ。言葉をこねくり回して。
その相手として選んだのです♪

こちらの記事が面白かった…ということです♪

No title

>誤解を恐れないのなら哲学者や文学者の名前や有名な学校の名前を羅列して持論に権威付けをするということを控えるべきです。
>読み手としては、ゲーテの名前を出されるとゲーテの記事を読む水準でここの記事を読みます。ドストエフスキーでも同じことです。当人の著作と比較します。
その感覚は、大切だと思います。
僕が、ハイデガーやジジェクを引いたときは、
ショーペンハウアーを持ち出したときは、それなりに本気です。
彼らに盾をつくときで、必ず僕の内側から外側、つまり世間に問うときです。
ハイデガーやジジェクで論理を補強することはありません。
そのあたり、ニーチェがいやみなことを言ってます。

本を読んだとしても、最悪の読者にだけはならないように。
最悪の読者とは、略奪をくり返す兵士のような連中のことだ。
つまり彼らは、何かめぼしいものはないかと探す泥棒の眼で本のあちらこちらを適当に読み散らし、やがて本の中から自分につごうのいいもの、今の自分に使えるようなもの、役に立つ道具になりそうなものだけを取り出して盗むのだ。
そして、彼らが盗んだもののみ(彼らがなんとか理解できるものだけ)を、あたかもその本の中身のすべてであるというように大声で言ってはばからない。
そのせいで、その本を結局はまったく別物のようにしてしまうばかりか、さらにはその本の全体と著者を汚してしまうのだ。

>真意をくみ取ってほしいというなら、まず何故にこちらがコメントするのかということをくみ取ってみてほしいです♪
>こちらの記事が面白かった…ということです♪
ユウさんも、僕も、自分の問題として捉えているわけです。
なぜ自分が、引っ掛かるのか、そこだけだと思います。
僕は、最初にコメントを書いた、
>国公立大学に行けなかった者はその論理的思考が欠けている、
>その発想自体が、論理的思考を欠く者に固有のものかもしれない。
そこに引っ掛かりました。
でも、これは自分の問題なので、自分のブログでやっつけました。
自分の思考が、おもしろかったですよ~、hajimeさんに感謝です、
そんなものです。

>でも、「高卒を選んだ理由」を考えつくしてしまったとは書けない。何故なら、その中にはhajimeさんが構築しようとした論理が崩壊してしまう因子があるから。
自分の言葉が、内側に向かうときが怖いですね。
でも内側に向かわなければ、言葉は嘘です。

宣言します。
なににつけても、僕は、
僕が感じることができることの中からしか、
なにかを見つけられない。
それを超えて、知ったかぶりはしない。
僕の外側にある、他人の言葉を、
内側に落とし込んで、また引き上げてみる。
外側から外側に、上滑りさせない。
内側に入れてから、外側に問う!

No title

あまりにたくさんの考えを文に入れると、いろいろと矛盾してしまうものですね。非難を求める文に自分の好きな文豪を引用してしまう事はあなたの言う略奪者となにが違うのでしょうか。 僕は高卒で海外文学が好きです。原書は読めませんが… 自分の主張に誰かの言葉が入ってしまうと とても気持ち悪くなってしまいます。 意味不明な文で最後を濁してしまうのは僕も一緒なんです。やっちゃいますよね

あさんへ

コメントありがとうございました。

最近思索するときに矛盾することは必ずしも悪ではないというスタイルを持つようにしています。ですが、こうした主張の場で矛盾することは頂けないですね。読者の方には申し訳なく思っています。

小奈鳩ユウさんが指摘してくださったニーチェの言う略奪者、ですが、そのようにとらえられてしまっている以上、私の落度なわけですが、引用するのは、できるだけ多くの人にそういった自分が素晴らしいと思える作品を知り、それを読んでほしいと思うからです。

私の主張はその通り、文豪の言葉から派生した劣化した、あるいは誤解した思想です。けれどその中にもなにかおもしろいもの、真理を含んだものがあるのではないか、そんな風に考えています。ですから、こうして指摘してくださるのは非常にありがたいです。

今後ともよろしくお願いいたします。
プロフィール

hajime

Author:hajime
ぜひ、高校生や大学生などの青年諸君に注意深く読んでもらいたい。むやみに多読する必要はなく、知識や思想の力があれば悩みに打ち勝つこともできるのだ。僕自身が高校時代から現在に至るまで苦悩と苦悶を繰り返しながら、懸命に人生について、「善く生きる」とはどういうことか、ということを真面目に考え、行ってきた事実をここに記している。その内容はきっと青年に役立つであろうと思わないではいられない。

無料メールマガジン
メルマガ購読・解除
 
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

twitter
月別アーカイブ
最新トラックバック
最新記事
最新コメント
リンク
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
QRコード
QR
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる