心の平和は心を乱すようなことを一切かえりみないことによって得られる 『偏見』と『差別』 

貧しい者は富める者に押さえつけられてうめき、富める者は偏見に押さえつけられてうめいているのを見ていた。かれはこう言っていた。わたしの言うことを信じなさい。わたしたちの幻想は、わたしたちの不幸を覆いかくしてくれるどころではなく、それを大きくし、なんの価値もないものに価値をあたえ、幻想をもたなければわたしたちには感じられないさまざまのいつわりの欠乏を感じさせる。心の平和は心を乱すようなことをいっさいかえりみないことによって得られる。だれよりも生命をだいじにしている人はだれよりも生命を楽しむことができない人なのだし、むやみに幸福を願っている人はかならずこのうえないみじめな人間になるのだ。   『エミール』


学生時代には出会うこと少なく、意識の上にものぼってこなかった『偏見』。僕にとってこの『偏見』、『差別』は過去の未熟な世界での出来事であり、『人種差別』についてはアメリカ特有の問題という認識であった。少なからず日本の教育ではそのような捉え方であったように思うし、現実の、身近な問題だと教えられた記憶はない。僕も社会常識に乏しいめでたい人間であったのだ。同時に生まれ育った環境が『偏見』や『差別』とは縁遠い?恵まれたものであったということもあるだろう。それを最近になって気が付いた。

アルバイトをしていたとき、今まで関わりが濃かった連中というのは、いわゆる高等な教育を受けられる、そして受けてきた者たちで、頭の良さ、ときには容姿の優劣が関心事でそうした問題が持ち上がりにくかったのであろう、それがスポーツを生活の中心として生きてきた連中と親しむようになって『偏見』の現実を知った。彼らの口からは「在日」という言葉が多く聞かれた。成績に対して、そうした観点からケチをつけるのである。卑劣きわまりないのだが、彼らはこうしてなんとかメンツを保とうとしているのだろう、また特に親しかった一人は「創価学会の会員」に過剰な反応を示した。タレントやスポーツ選手に対して、「創価」だといって徹底的に非難したり、その証拠のようなデマのような情報までも持ち出して拒否反応まで示した。彼をそこまで発奮させるものはなんなのであろうと、僕は頭を悩ませたものだ。僕にとって接する相手が在日であるということや、創価学会であることはあまり問題とならず、彼の持つ人間性との連関を思わない。けれど、そうした『偏見』や『差別』が価値がないどころかむしろ、害でしかないことを知らせてあげることはできなかった。彼らに対する敵対心はそれほど強いものだった。彼はよくネットを利用していたから「ガイジ」という言葉も頻繁に用いた。どれほど程度の差があったとしても、常軌を逸した言動に対しては即座に「ガイジ」(障がい児からくる言葉らしい)といって侮蔑していた。そうした言葉は同時に、発している自分自身をも傷つけ、貶めていることに彼は気づくわけもなかった。

社会人となって、「在日」といって主にネットで『偏見』というよりは侮辱されるているのをネットを好む同僚から聞き、その所以も説明された。「在日」にはさまざまな特権があって、その一つの表れが通名であるとのことだった。そこから、在日に多い名前などの情報も彼は語ってくれた。僕はそんなこと考えもしなかったので、そうした事実と社会常識に驚きを禁じ得なかった。僕に対しても「Hさんは在日ではないでしょうね?ひょっとして在日だったりして?」と冗談半分興味半分といったかんじで尋ねたこともあった。『在日』だから『創価』だからなんだというのだろう?それゆえに関わりたくないではなく、人間性、性格、人格で関わるか関わらないか決めたらよかろう。ましてや全く関係のない人に対してそうした判断基準を持ち込むのはくだらないにもほどがある。『偏見』や『差別』は社会常識となってしまっている。この社会は自分さえ信じることができず、信じる者も、良心も、物事を見抜く確かな目も持ち合わせていない未熟な人間ばかりということになる。そんなことをここ数年で知ったのである。何も知らなかった頃がよかったという気がしてくる。大人になるにつれて、みんなそれぞれに自分を保つために『偏見』と『差別』を携えるようになってしまった。「ブルーカラーしかできない、本当に頭の悪い人の働く場を奪ってはいけない、君はそんなところでくすぶっているような能力の持ち主ではない。絶対にホワイトカラーでなくてはいけないとはいわないが、君はもっと勉強して、資格でも取るなりして、とにかく今のようなつまらない身分はやめたまえよ」これは友人の言った言葉である。

こうした考えに対して、僕は一定の距離をとっているし、僕はそのようには考えない。基本的に僕は周囲やいわゆる常識、慣例などを気にしたり、それらと比較してみることはない。これはなんの価値もないものに価値を与えているいい例ではなかろうか。なぜみんながやっていることがよいことであることになるのだろうか。心の平和は心を乱すようなことをいっさいかえりみないことによって得られるように、『偏見』や『差別』をしてみたところでよくない感情がうまれてくるだけであろう。自分が何者であるのか、自分とはなんであるのかが大事なことであるが、他者が何者であるのかによってしか自分の存在の価値を認識できないのはさもしい人間であると言わざるを得ない。

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hajime

Author:hajime
ぜひ、高校生や大学生などの青年諸君に注意深く読んでもらいたい。むやみに多読する必要はなく、知識や思想の力があれば悩みに打ち勝つこともできるのだ。僕自身が高校時代から現在に至るまで苦悩と苦悶を繰り返しながら、懸命に人生について、「善く生きる」とはどういうことか、ということを真面目に考え、行ってきた事実をここに記している。その内容はきっと青年に役立つであろうと思わないではいられない。

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