常識を疑え 不自然さを感知せよ


想像力が肉や脂肪と調和しない理由を問うのはむだなことであろう。私は調和しないと確信している。人間が肉食動物であることは、ひとつの恥辱にほかならないのではあるまいか?なるほど、人間はたいていの場合、ほかの動物を食べることによって生きることができ、また、現にそうやって生きている。しかし、これがみじめな生き方であることは、ウサギを罠にかけたり、子ヒツジを屠殺したりする者が、だれでも思い知ることだろう。したがって、将来、人間にもっと罪のない健康的な食物だけを食べるようにと教える者があらわれれば、彼はまさに人類の恩人とみなされることになるだろう。私自身の食習慣はともかくとして、人類は進歩するにつれ、動物の肉を食べるのをやめる運命にあると、私は信じて疑わない。ちょうど野蛮な種族が文明人と接触するようになってから、たがいの肉を食べあう習慣をやめたように。   『森の生活』より


僕はこうした一つひとつの常識をできるかぎり疑ってみるつもりだ。そのためにこうした書物を読むことは欠かせない。ここでは食べ物についての常識が打ち崩される。僕のお気に入りの映画の一つ『IN TO THE WILD』―この冒頭にもソローの言葉が登場するが―のアラスカで生き物を狩って食べるシーンは真実を伝えているように思う。生き物をたとえ捕まえるなり殺すなりして獲得できたとしても、それを食べるのは物理的にまず非常に難しい。うまく屠らなければならないし、すぐに傷んだり、ハエが集ったりして鮮度を保つこともできない。それゆえとにかく焼くということになるのだが、それも簡単ではない。そして生きるためだとはいえ、その光景は全然気持ちのよいものではなく、むしろ陰惨だ。間違っている気さえするだろう。僕たち自身の生活レベルで考えてみても、犬や猫は決して食べることはないのに、どうして豚や牛は殺して食べられるのだろう?確かに、鳥や牛、豚を食べなくてはならないという決まりはないわけで別に食べなくてもいいわけだ。しかも、動物性の油というのはかなり厄介なもので、食べ終わった後の食器や使用後の調理器具は厄介で見た目もよくない。理想を言えば、やはり私たちは肉食をやめなければならないということになるはずだ。僕もそのための努力を少しずつしていきたいと思う。もともと、僕自身は肉をあまり好まないのだが、ウインナーやミンチなどの加工肉がどうしても平常心で食べることができないのだ。そしてたまにテレビなどで間接的に見る牛が皮をはがれた状態でつるされているのをみると形が牛であることがわかるだけに余計に惨いと思わないではいられない。鶏などは羽をはぎ、卵を奪い、人間の勝手で尊厳も何もあったものでない。もし僕たちがケーキやフライドチキンを知らなかったら、こんな罪を犯さなくても済むはずである。絶対にケーキを食べなくては生きられないというわけではないのだ。僕たちが次第に忘れてしまっていく、そうした不自然さを感じる感覚を取り戻し、その感覚を鋭敏にしなければならない。食べ物だけではない。私たちにとって、それは本当に必要か?それがなければ生きていけないだろうか?と一人ひとりが自問自答し、この世界から不自然なもの、環境や自然を破壊する契機となるものを取り除いていくべきだ。人類はずっと前からそうした岐路に立たされている。

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hajime

Author:hajime
ぜひ、高校生や大学生などの青年諸君に注意深く読んでもらいたい。むやみに多読する必要はなく、知識や思想の力があれば悩みに打ち勝つこともできるのだ。僕自身が高校時代から現在に至るまで苦悩と苦悶を繰り返しながら、懸命に人生について、「善く生きる」とはどういうことか、ということを真面目に考え、行ってきた事実をここに記している。その内容はきっと青年に役立つであろうと思わないではいられない。

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