私と大学


数週間後、私はH大学に入学の手続きをした。なにもかもが私を失望させた。哲学史の講義を聞いたが、それは学生たちの行動と同様に空疎で機械的だった。万事が型にはまっていて、みんな同じことをやっていた。少年らしい顔の大学生の上気した陽気さは悲しいほど空虚で、できあいでも買ったように見えた。しかし私は自由で、終日自分の時間を持った。町はずれの古い家の静かな美しいへやに住み、机の上に数巻のニーチェをのせていた。私はニーチェとともに生き、彼の魂の孤独を感じ、私をたえず駆りたてる運命をかぎつけ、彼とともに悩み、かくもかしゃくなく自己の道を進んだ人が存在していたことを幸福に思った。   『デミアン』より


僕ははじめから大学に期待していなかったし、希望なんぞ抱いてもいなかった。入学の手続きをしながら、そのときにはどうしたら悶着を起さずに辞められるだろうと、すでに辞めることを考えていた。辞めるつもりで入学した、それが本当のところだろうと思う。とにかく大学入学は運命のような業のようなものであったのかもしれない。知らず知らずのうちに僕はそう育てられてきて、自分でもそれを感じていて、目標の為の尽力に報いるためにも入学という形はとるべきだと思った。しかし、大学に入るのと大学を卒業するのとでは大きく意味が違う。だから僕はそこをはっきりさせたかったのだ。最低でも行動で示すべきだと思った。僕は口だけの人間にはなりたくないのだ。強者には弱者の気持ちはわからない、弱者であることに抵抗なく、すすんで弱者であらんとする人こそ英雄である。傷つける人間であるならば、傷つけられる人間であらんと欲する人間、そういうものでありたいと願う。

僕は正直、医学部以外の学部に意味を感じることができなかった。文系の学問を大学という特別な機関でやらなければならない理由はなさそうだし、物理学は近年では実験装置が大掛かりなので大学の様な機関も必要だろうが、一般的な研究にはあえて大学という機関である必要はなさそうに思う。会社でそうした実際的な知識を与えたほうがよっぽど優秀な人材もできようものだが。もちろん、大学に入らなければならないという条件下においてであり、僕はそもそも入る必要性を感じることができなかったが。とにかく大学は学問のために存在するのではなく、職業のために存在しているようだった。そしてその職業に大学が必要条件なのか考えてみると、決してそうではない場合の方が多かった。学問のためでもなく、仕事のためでもなく、市場、経済のために成長していっていた。授業料を納めて、講義を聞くというよりかは、先生の給料のために授業料を納め、それではあまりに体裁が悪いからお互いが講義という形式をとっているという感じがしてならなかった。そんなものに魅力もなく、期待もなかった。力のない人間が社会で生きていくために「学歴」という鎧を手にするために行くのだくらいに考えていた。本当に力のあるものは、日本の大学で甘んじてはいけないのではないだろうか。海外の大学の内情を知っているわけではないけれども、アメリカなどのほうがきっと期待できるのではないかと思う。ノーベル賞などの受賞者数などはそういうものを物語っているかもしれない。とにかく日本から天才は生まれにくい。逆に言えば、世界レベルではなく、世界トップレベルが生まれやすいともいえる。スポーツ界でいえばイチロー、錦織、松山、こういった選手を生みだしている実態をもっと精細に調査し、学問や芸術でも応用するべきだと思う。

僕自身はというと、世界だなんだと言える境遇にはないと言って差し支えない。これは決して逃げではない。とはいえ、こうして文字は自在であるから、なんとか文字でなにかを切り開いていきたいと思う。僕が満足に力を発揮できるのはこの文字を扱うということなのだ。

僕は図書館に閉じこもるか自分の部屋に閉じこもった。僕はニーチェを拠り所とするほど精神的ではなく、感情も鋭敏ではなかったから、数巻のニーチェをのせていなかったが、夏目漱石とショーペンハウアー、そしてルソーとソローに常に接し、その言葉を全身に浴びていた。僕たちはともに生きていた。行動の手本を示し、生き方を励まし、肯定さえしてくれているようだった。進むべき道を指ししめし、視野を広く持つことを教えてくれた。僕が求めていたものがそこにはあった。漱石の葛藤、ショーペンハウアーの孤独とルソーの孤独、ソローの豊かな心。私をたえず駆りたてる運命をかぎつけ、それを理解しつつあった。彼とともに悩み、かくもかしゃくなく自己の道を進んだ人が存在していたことを幸福に思った。

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hajime

Author:hajime
ぜひ、高校生や大学生などの青年諸君に注意深く読んでもらいたい。むやみに多読する必要はなく、知識や思想の力があれば悩みに打ち勝つこともできるのだ。僕自身が高校時代から現在に至るまで苦悩と苦悶を繰り返しながら、懸命に人生について、「善く生きる」とはどういうことか、ということを真面目に考え、行ってきた事実をここに記している。その内容はきっと青年に役立つであろうと思わないではいられない。

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