幸福を求めるわけ

幸福な家庭はすべて互いに似かよったものであり、不幸な家庭はどこもその不幸のおもむきが異なっているものである。   『アンナ・カレーニナ』


僕が執拗に幸福を求め、異常なまでの執着をもってこのブログを書いているのは理由のないことでない。最低限得られるはずの、いや得られるであろう幸福が得られなかったからである。幸福な家庭、僕はどれほどこれを望んできたことだろう。

家庭が円満かどうかというのは、外から見てもわからない。実際の当事者でなければ決してわからない。仮に、その家庭内を覗き見ることができたとして、会話であふれていたとしたらきっと円満な家庭ということになるだろう。人と人とは会話でつながる、会話がなければ心と心は離れてしまう。いつの日からか、僕の家庭から会話が減った。何よりも僕自身が話さなくなった。話したくなくなった。いや、話を聞いてもらえなくなった。わかってもらえなくなった…。――……。

僕の家族は知らない間にばらばらになってしまっていた。みんなが好き勝手に生活をし、ただ一つ屋根の下に共同生活しているのであった。お互いがお互いに理解を示そうとせず、皆が皆自分が正しいと信じて疑わず、耳を貸さない。それぞれがそれぞれに話したいことを話して、誰も聞いていない。自分が話したいことが終われば満足して、自分が話せる機会が来るのを聞くふりをして待っている。結局、話したいことを聞いてもらえないから、こうやって文章にして書いて、本を読んで言葉を聞いていると思い込み、錯覚の会話をしているわけだ。僕はさみしい人間なのかもしれない。聞いてもらえる話ができない僕も悪いのだ。もっと「ファジー」にとのアドバイス、「クソマジメ」、これが僕の形容詞となった。ふざけて身勝手なのが、見てて楽しいかもしれない。けれども自分は楽しくない。「美しい生き方」だけが僕を励ます。「美しく生きる」こと、「清く、正しく、美しく」の教えの宝塚はやはりすごいんだろうなと思わないではいられない。人としてあるべき姿と僕は思う。

僕の住んでいる家は一般と比べると立派な方だろう。お金に苦労した覚えはないからその点では幸せだった。けれども、家は広くても、住人の心は狭かった。人口密度が薄くなって、心と心は離れるばかりであった。もしも修復できるのであれば、修復したい。けれどもう手遅れだった。幸せな家族になれなかったことが残念でならない。

どうか、会話をしてください。お互いを認め合って、互いの人格を尊重して理解を示してください。あなたのそばにいるひとの話をよく聞いて理解を示せばそれでいいのです。感謝の気持ちを伝えましょう、そして自分を感情にいれずに受け止めてあげましょう。ときには褒め合い、時には戒め合い、慰め合いましょう。共通の哲学、宗教を持ちましょう、「お金より大事なものがある」こんなことすら共感・共有できなかった。信頼関係を築くのは難しいが、壊れるのはあっという間だ。そして、一度壊れてしまったら、ほとんど修復することは不可能なのだ…。

だから僕は求めているのだ。別の場所に、幸福の幻を…

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hajime

Author:hajime
ぜひ、高校生や大学生などの青年諸君に注意深く読んでもらいたい。むやみに多読する必要はなく、知識や思想の力があれば悩みに打ち勝つこともできるのだ。僕自身が高校時代から現在に至るまで苦悩と苦悶を繰り返しながら、懸命に人生について、「善く生きる」とはどういうことか、ということを真面目に考え、行ってきた事実をここに記している。その内容はきっと青年に役立つであろうと思わないではいられない。

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