人生で求めるべきもの「友」 相手を思い、時間をかけ、少しずつ仲良くなっていく

人間の心にとっては、はっきりとわかっている友情の声以上に重みのあるものはなにもない。友情がわたしたちに語ることばはすべてわたしたちの利益のためであることがわかっているからだ。友人もまちがったことを言うばあいはある、しかし、友人はけっしてわたしたちにまちがったことをさせようとはしない、と信じていい。ときには友人の忠告を聞き入れないことはあっても、それを無視するようなことをけっしてしてはならない。   『エミール』より


人生で求めるべきもの、それは深い「友情」を感じることのできる友人である。友の存在は、ときとしては家族をも超えるほど自分にとって大きいものとなる。家族には言えない悩みも友になら打ち明けることができる、こんな経験を誰もが一度はしたことがあるはずだ。

友情を感じる友人を得ることは難しいことであろうか?そして本当に孤独を好むひとははたしているのだろうか?
「類は友を呼ぶ」という言葉があるが、これは当たり前と言えば当たり前のこと。友人であるということ、つまり仲がいいということはコミュニケ―ションが円滑に行なわれる、の意と考えていいだろう。人間のコミュニケーションの手段の第一のものは言葉で、それに付随する表情や動作がこれに続く。言葉の遣り取りがスムーズに行われるには、相互の知識量や思想傾向のバランスが取れていることが必要である。いや、そんなことはない、まったくタイプの違う二人でも友人同士というのはありうる!ともいえそうだが、僕は「友情」を感じる関係にまでは発展していないと判断する。あるいは、実はタイプは違っていても、知識量や思想傾向に共通点があったりするものなのだ。だから、「友を呼ぶ」ためには、自分の知識量と思想傾向を良識を伴いながら発信することだ。僕自身、正直、そうした理念のもと他者と接することにしているので時には、困惑させてしまうこともある。多くの人に「この人とっつきにくいなー」、「ちょっと変わってるな…」という印象を与えているに違いない。とはいえ、こうしたふるまいをするのは、あくまで「友を呼ぶ」(友を求める)ときであって、基本的なスタイルは「一期一会」の精神で誠心誠意を尽くし、その場をお互いに気持ち良く過ごせるよう努力するというものなので、大きな問題は起こらない。この切り替えをしっかりとすることが、大人のたしなみといったところなのかもしれない。先輩、後輩、男性、女性というように相手によってもまた当然言動は変化させるが、スタイルを変えてはいけないと思う。実際、これはかなり難しい。年上や異性にはよからぬ欲、下心が頭をもたげてき、年下や同性に対しては自尊心が大きくなったりする。媚び諂い、虚勢をはっていたのでは、円滑なコミュニケーションなど不可能だ。コミュニケーションはどんな関係を築くにもせよ、星の王子さまとキツネのように時間をかけ、少しずつ、仲良くなっていくということだ。僕たちは急ぎすぎる。文明の発展であらゆるもののスピードは格段に速くなった。しかし、今ではスマートフォンなどで他者との繋がりも以前よりも簡単になった。だからといって、人同士が即席に仲良くなり、信頼を築けるようになったわけでは決してない。人と人との絆は、あらゆるもののスピードが速くなっても、決してすぐに築きあげられるものではない。文明の発展で、僕たちは自由にできる時間が格段に増した。その時間を人との絆を深めるために使ったらどうだろうか。

「愛するとはどういうことかわかりはじめてきたかれは、一人の人間を愛する者に結びつけるのはどんなに快い絆であるかということも知っている」   (エミール)

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hajime

Author:hajime
ぜひ、高校生や大学生などの青年諸君に注意深く読んでもらいたい。むやみに多読する必要はなく、知識や思想の力があれば悩みに打ち勝つこともできるのだ。僕自身が高校時代から現在に至るまで苦悩と苦悶を繰り返しながら、懸命に人生について、「善く生きる」とはどういうことか、ということを真面目に考え、行ってきた事実をここに記している。その内容はきっと青年に役立つであろうと思わないではいられない。

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