「森の生活」を超えて

そのあいだも、主は私に身の上話を聞かせた。自分が、近所のある農夫のために「泥沼に漬かって」必死で働いていること、一エーカーにつき十ドルで、鋤や沼地用の鍬を用いて草地を耕し、その土地を一年間、肥料つきで使わせてもらっていること、例の顔の大きな息子は、父親がどれほど割に合わない仕事をしているかも知らずに、自分のそばで嬉々として働いていること、などである。私は、自分の経験が彼の役に立つかもしれないと思い、次のような話をしてやった。ぼくはあなたのすぐ近くに住んでおり、こんなところへ釣りに来ているので怠け者に見えるかもしれないけれど、これでもあなたと同様に、ちゃんと自分で生計を立てている。ぼくはしっかりとした明るい清潔な家に住んでいる。それは、あなたの家みたいなあばら家の一年分の家賃とほとんど変わらない費用で建てたものである。あなたもその気になれば、一、二カ月で自分の宮殿をつくることができるだろう。ぼくは茶もコーヒーもミルクも飲まず、バターも新鮮な肉も食べないので、そういうものを買うために働く必要はない。また、あまり働かないからあまり食べる必要もなく、したがって食費はいくらもかからない。ところがあなたは、はじめから茶、コーヒー、バター、ミルク、牛肉などを飲み食いしているから、それを買うためには必死で働くほかはなく、必死で働けば、体力の消耗を補うために必死で食べなくてはならない―といったぐあいで、結局、事態は少しも好転しないだけでなく、かえってわるくなるばかりではないか。満足することがないうえに、いのちをすり減らすしているわけだから。にもかかわらずあなたは、毎日、茶やコーヒーや肉が手にはいるというので、アメリカへ来て得をしたと思いこんでいるらしい。ところが唯一真正のアメリカとは、そんなものなしでも暮らせる生活様式を自由に探求できる国であり、そういう物を使うことによって直接間接に生じる奴隷制度や、戦争や、そのほかの余分な出資などに賛同することを国民に強制したりはしない国なのである、云々。   『森の生活』より


現代の社会では、「誰かが誰かを搾取している」。若干文法に誤りがあるにはあるが、つまりすべての人が誰かから何かを無許可で奪っている。そしてそれは労働において特に認められる。よい言い方をすれば、協力し合っているともいえるのかもしれないが、僕にしたって営業さんが必死になって獲得したお客さんがいるから仕事があるのであって、自分で仕事を取ってきたわけではない。仕事がいろんな人が関わり合いながら、助け合って、協力してつくりあげていくものだ。でもなぜだか、自分が卑怯な気がしてならない。けれども現代においてこの搾取の感覚を喪失しているとしたらあまりに無神経だろう。

割に合わない仕事をするよりも、自分で生計を立て、つましく、満足と健やかな命をはぐくむ生活のほうが貴いとソローは説くわけだが、僕は自分自身に、「人の嫌がる仕事をやれる人になりなさい」と言い聞かせてきた。キレイごとをいってもはじまらないので「人の嫌がる仕事」とはなんなのか。僕はこれを自分自身の解釈で受取ってしまった。死や生に関わる仕事はどうしても僕には耐えられないものに思われた。おそらく人の嫌がる仕事なのだろうが、僕には厳しそうであった。そう、僕は頭でっかちで、口だけだ。「汚れ仕事や力仕事、不吉な仕事や危険な仕事」、これらが「人の嫌がる仕事」だろうと思う、この中にぎりぎり含まれる程度の仕事を選ぶことが僕には精いっぱいだった。それなりの給料も休みも欲しかった。こうした、いわゆる底辺の仕事というのは命の危険にもさらされる。間違いなく、死のリスクは働きはじめて格段に上がった。死を思わない日はない。朝の「いってきます」が最後になるかもしれないという日々。僕は正しいのか分からない。けれども自分の選んだ道であるし、それ以外に道はなかったようにも思う。誠実に生きることは難しいことだ。美徳のためには嘘もやむを得ないときもある。

かつて『森の生活』を読んでいた時には自分で生計を立てられるのなら、社会人として働かなくてもいいのではないかと考えていた。こんな社会で働くのがばかばかしくもあった。生産性のない仕事に現代はあふれている、それらに携わることが恥にも思えた。しかし、どこかで必死に汗水たらして、お客に頭を下げて、社長の機嫌をよくしてお金を頂くことに抵抗があった。でも、僕にはお金がないのだ。だから頭をさげて、こびへつらってなんとかお金を、生きるためにもらう必要があった。僕は孤独だとわかっていながら、家族や社会に対して愛の様なものを持っていた。だから彼らと共に生きていきたかった。森で、湖のほとりで生きられるほど僕は強くなかった。そのことに気づいていなかったのだ。

自分で生計を立てるのは当然のこととして、「茶もコーヒーもミルクも飲まず、バターも新鮮な肉も食べないにもかかわらず、割に合わない(お客さんにとっては嬉しいという意味で)仕事をして、そうして得られた報酬を満足と健やかな命をはぐくむことにつかうというのは素敵ではなかろうか?実際に僕は割に合わない仕事といっていい仕事をしているのだが、給料に対する不満はあまり感じていない。境遇が境遇だけにむしろ会社に感謝すらしているくらいだ。あまりエリートというのも困ったものかもしれない。驕ってしまって、不満が出て、満足することがなくなるだろう。人間謙虚になることは難しいから、謙虚にならざるを得ない状態にすすんでなってみるのもいいかもしれない。けれどほとんどの人間はそんなことをしたら、卑屈になるか、意地の悪いどうしようもないものになるだろう。

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はつよろです♪

なんだかファンになっちゃいました(v`▽´)v

わたしですね…このところついてなくて(汗)
すべり台を滑っても滑ってもゴールが無い感じなんて言えば少しは伝わりますか?
ものすごい急降下中なんです。。

そんなこんなで色んなブログ読み漁ってたらここで足が止まりましたσ(゚ー^*)不思議と心惹かれたんです。
hajimeさんも色んな時間を過ごされてるんですよね。きっと。。

急なお願いで戸惑わせてしまうかもしれませんが
話し込んでみたいというか話しを聞いてもらえたらって気持ちを持たずにはいられなかったんです(◎>∀<◎)

連絡してくれたら有難いです。
もしも迷惑であればコメントごと私のこと消してください。
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hajime

Author:hajime
ぜひ、高校生や大学生などの青年諸君に注意深く読んでもらいたい。むやみに多読する必要はなく、知識や思想の力があれば悩みに打ち勝つこともできるのだ。僕自身が高校時代から現在に至るまで苦悩と苦悶を繰り返しながら、懸命に人生について、「善く生きる」とはどういうことか、ということを真面目に考え、行ってきた事実をここに記している。その内容はきっと青年に役立つであろうと思わないではいられない。

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