障害者と向き合う

僕は障害者と向き合ったとき、自分の偽善が隠しようもなく心に表出してくるのを感じる。

僕は平気で人の役に立ちたいとかみんなが楽しくすみよい社会になればいいという思いを持つ。

確かにそういう理想とか中身のない空想を願うことは悪いことではないかもしれない。

しかし、そんな理想や空想を胸に描くとき、僕は現実の人々や社会情勢などをまったく考慮していないのだ。

平和とか献身とはほど遠い場所で生きている人たちが大勢いるのだ。

大体、自分が人の役に立てるという状況自体がありがたいことなのだ。

自分のことだけではなく人にまで世話を焼くとは僭越かもしれないし、自惚れ出すらあるかもしれない。


こんなことを考えたのには理由があって、

今日、母の知り合いの人がバウムクーヘンを届けてくれた。

そのバウムクーヘンは障害者の人が作ったもので、その知り合いの人はそういう障害者の人たちの商品をみかけるとその力なり、援助のためを思って買うようにしているのだ。

その買ったものをうちへよく届けてくれる。

僕はそれを聞いて、すばらしいことだと思った。

僕もできることを役立つようなことを少しでもやりたいとおもった。

しかし、これは偽善であることにすぐに気がついたのだ。

そういえば、誰かがテレビで

「偽善であってもやらないよりかやったほうがいい。」といっていた。

確かに援助や奉仕はその理由よりも実際にそれをどのようにやるかが問題であって、動機や意図はあまり関係ない。

その行動によって実際に助かったり、手助けになることがあるのだ。それは紛れもない事実だ。

それが偽善かどうか、そんなことは関係ないんだ。

自分自身、優しい人間だという自負があった。

でもそれは全然違う。僕は身勝手な人間だ。

自分の幸運を謳歌しているだけの自己中心的な人間だ。


気休めの偽善を施して、自分の罪を意識しないようにしているのだ。

素直にそれを認めて、少しでもそういう高尚な考えを持てるような人間に向かおう。

障害者の人も健常者も同じ人間だ。なんていうきれいごとは僕は言うことはできない

自分が喜んで代わることができるのか、生活を共にするだけでも苦しかったり、いやな思いをするだろう。

やっぱり健康でみかけのよい女性と付き合いたいとかそういう低次元の考えでしか動いていない自分が情けないと思う。

みんなきっとそうなんだろう。

僕は障害者の人や、そういう人に対する自分の感情をどのように持つべきなのかわからない。

本当は僕らがみじめな存在なのかもしれない。

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hajime

Author:hajime
ぜひ、高校生や大学生などの青年諸君に注意深く読んでもらいたい。むやみに多読する必要はなく、知識や思想の力があれば悩みに打ち勝つこともできるのだ。僕自身が高校時代から現在に至るまで苦悩と苦悶を繰り返しながら、懸命に人生について、「善く生きる」とはどういうことか、ということを真面目に考え、行ってきた事実をここに記している。その内容はきっと青年に役立つであろうと思わないではいられない。

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