コンピューターが人間の質を低下させる


人間の悲惨な光景によってかれの心を動かさなければならないが、冷酷にしてはいけない。長いあいだ同じような光景を目にしていると、人はその印象に無感覚になってくる。習慣はどんなことにも人をなれさせる。あまりひんぱんに見ていることは、人はもう思い浮かべることもなくなるものだが、わたしたちに他人の不幸を感じさせるのは想像にほかならない。だから、人が死んだり苦しんだりするのをたびたび見ているうちに坊主や医者は無慈悲な人間になってくる。そこで、あなたがたの生徒には、人間の運命と自分と同じ仲間の者のみじめさを知らせるがいい。けれども、あまりにもしばしばそういうことを目のあたりに見せないことだ。ただ一つのものでも、適当なものを選んで、適当な機会に見せることにすれば、一カ月のあいだかれを感動させ、反省させることになる。かれが見るものではなく、むしろ見たものについて自分で考えてみることが、それにたいするかれの判断を決定することになるのだ。そして、あるものからかれがうける永続的な印象は、もの自体から生ずるよりも、むしろそれをかれに思い出させる観点から生じるのだ。

(中略)

教師よ、ことばは少な目にするがいい。しかし、場所、時、人物を選ぶことを学ぶがいい。そして、あなたの教訓をすべて実例によってあたえるのだ。そうすれば効果は確実だと思っていい。   『エミール』より


今の社会はもはやネットなしで考えることは難しい。ネットは次第に人々の生活の一部となっていっている。未来はこれが、ロボットに代わり、人造人間、あるいは人工知能?この人工知能が人間を凌駕した瞬間が、人類の新たな瞬間となるであろうが、しばらくは人間とコンピューターという構図は変わらないであろうと思う。そしてこの関係が人間を無知で偏屈にし、社会性を低下させることであろう。というのは、人類の文明は簡潔に言うと自然への対抗であった。自然をなんとか手中におさめ、支配するための活動であった。自然の脅威にさらされるたびに人間の愚かさと弱さを痛感するわけだが、それでも懲りもせず戦いを止めない。今日も自然への反逆が続いている。おそらく自然にうまく順応して生きるのがもっとも賢い生き方なのだろうが、まだまだ自然界の中でも未熟な人間は他の生物に見習うことができないらしい。自然を支配することと並行して、今では社会や個人を支配し、コントロールすることにも尽力している。それがこのネット社会で実現されて始めている。コンピューターは人間の指示通りに動く。ネットもロボットもすべて人間の指示に従って従順である。こうしたコンピューターをつかって、知らず知らずの間に人間は自分の傾向や性向を強め視野や思考を限定し、窮屈にしていく。好きに自分の世界をつくりあげ、他人との隔たりを深め、自分の考えつくものの範囲に限られて生きていくことになる。心を動かされるような悲惨な光景に触れる機会が失われ、心地よいなじみの感覚に浸る機会が増える。ふと感動させられたり、とてつもない衝撃は予定調和の出来事にその席を譲ることとなる。ゆえに、ネットや単調で平凡な毎日からは人間の運命の悲惨さや心ゆさぶられる感動、人生の転機ともなりうる衝動は得られない。日常に変化を与える好奇心と、優れた教師によってのみ、これらは得られるに違いない。

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こんばんは

もの自体から生ずるよりも、むしろそれをかれに思い出させる観点から生じるのだ

実は,
わたしも,このところ,書こうと想う記事のために,エミールやその他のルソーに関する本をぱらぱらめくっていました,なので偶然ですが余計共感できました!

もの自体から生ずるよりも観点から生じる,

これは,実は佛敎の真髄でもありますしね,動きやすくうつろいやすい“観相”と不動の心,
定められた絶對と不定無常の関係を示しているのでしょう。
すぐれて知性は東西関係なく同じことを言っていますね。

Re: こんばんは

コメントありがとうございます。

すごく意欲的に記事を書かれていますね。すばらしいです。語彙や言い回しが適切かつ巧みで、自分の文章の拙さを痛感させられています。他者の文章への目も鋭いので恥ずかしい気持ちもしています。名の知られた人たちにも容赦ない指摘をされていて、知識と優れた心眼にますます敬意を持ちました。

仏教の経典を読んだことがないので、読もうと思うのですが、入門書としては何が適しているでしょうか?助言願います。

この箇所は、はっとしました。観相と不動の心、絶対と不定無常という観念として認識することはできませんでしたが、少し難しいのですが、その通りだなと感じました。簡単な言葉で表現されていますが、深いですよね。
同じことを言っているという場面にしばしば出会いますね。いま「善の研究」を読んでいるのですが、意識(知性)の統一性ということを考えました。

わたしもこれは繰り返し読んでいます

人生哲学としてブッダの“偈”を,漢語経典からの訳ではなくサンスクリット語から直接訳した,『ブッダのことば』,岩波文庫です。Hajimeさんでしたら,ぱらぱら,と,めくるだけでも,得るものはとても多いでしょう。
(「バガヴァッドギーター」のギーターは偈頌,という意味ですが)哲学的な詩篇ですので,なにかの合間合間に読むこともできますよ!

たしかに佛敎の教義指南書より,経典を読むことが,たいせつですね
漢語でしたら
岩波文庫の「般若心經・金剛經」です,中村元氏訳。
基本中の基本であり,最初期に形成されたもので,絢爛たる佛敎術語の羅列はありません,コンパクトで字数も少なく,しかし,ぎゅうぎゅうに詰まってます。
日本で漢字で書かれる哲学用語はほとんど,莊子からはじまりブッダの経典を訳すためにもちいられた漢語の援用です


こんばんは

返答ありがとうございました。

『ブッダのことば』(岩波文庫)は本屋に立ち寄ると手にとってはパラパラと読んでは本棚に戻すというかんじでなかなか手に入れるところまでいっていなかったので、いい機会ですから買うことにします。
『ガバヴァッドギーター』はまだ途中なのですが、梵我一如とヨーガ、このことをひたすら書いている印象で期待外れでした。もちろんこの二つは、特にブラフマンと同一であるという考え方は新鮮で驚きがありました。自己犠牲や利他主義、善行などとも違いました。

合間合間に読む、という読み方は非常に有益ですね!

玄さんは私の先生です。とてもためになる助言をしてくださります。「般若心経」となると身の引き締まる思いがしますね。実は荘子、老子は厳選集のようなものを読んだだけなのであまり知識はありませんが、やはり重要になりそうですね。
ありがとうございました、期待以上の返答をいただいて感動しております。

No title

はげましをこめて,以前書いた記事ですがあらためてつけくわえ,思うところをかいてみましたが仏教理解,というより哲学理解の一助になればとおもいます,あまり宗教という感覚ではなくアフォリズムとして・・・
http://lengjiaqianchucihou.blog.fc2.com/blog-entry-87.html
プロフィール

hajime

Author:hajime
ぜひ、高校生や大学生などの青年諸君に注意深く読んでもらいたい。むやみに多読する必要はなく、知識や思想の力があれば悩みに打ち勝つこともできるのだ。僕自身が高校時代から現在に至るまで苦悩と苦悶を繰り返しながら、懸命に人生について、「善く生きる」とはどういうことか、ということを真面目に考え、行ってきた事実をここに記している。その内容はきっと青年に役立つであろうと思わないではいられない。

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