「メランコリーは快楽の友だ」 快楽を発見するには、孤独が必要であり、快楽に伴う不安によって幸福への道が示される。


わたしたちは表面的なことで幸福を判断していることがあまりにも多い。どこよりも幸福のみあたらないところにそれがあると考えている。幸福がありえないところにそれをもとめている。陽気な気分は幸福のごくあいまいなしるしにすぎない。陽気な人は他人をだまし、自分でも気をまぎらそうとしている不幸な人にすぎないことが多い。人の集まったところでは微笑をたたえ、快活で、朗らかな様子をしている人は、ほとんどみんな、自分の家では陰気な顔でどなりちらしていて、召使いたちは主人が世間でふりまいている愛嬌のために苦しむことになるのだ。ほんとうの満足感は、陽気でもなければ、ふざけちらしたりすることでもない。その快い感情をだいじにして、それを味わいながらよく考え、十分に楽しみ、それを発散させてしまうことを恐れている。ほんとうに幸福な人間というものは、あまりしゃべらないし、ほとんど笑わない。かれは幸福をいわば自分の心のまわりに集中させる。騒々しい楽しみごと、はねっかえるような喜びは、嫌悪と倦怠を覆いかくしている。一方、メランコリーは快楽の友だ。感動と涙がこのうえなく快い楽しみにともなう。そして、大きな喜びもまた、叫び声ではなく、むしろ涙をもたらすのだ。   『エミール』


「メランコリーは快楽の友だ」、この言葉に僕は学生時代、とても救われた。当時の僕はメランコリーと非常に仲が良かったように思う。僕の隣にはいつもメランコリーがいた。孤独の席にはすかさずメランコリーが入り込む。大学に入学した当初、僕はそれまでの人生の中で最大の孤独を味わっていたように思う。劣等感と絶望、不信感と自己嫌悪、そして運命的な手かせによって―まさに、手かせに!―心は荒んでいった。同級生とは疎遠になり、元来社交的であったにもかかわらず、人との付き合いに抵抗を感じるようになっていた。その孤独からくるメランコリーの先に扉が開かれていた。幸福と快楽は近いが同一でない。快楽はどこまでいっても自己本位であり、幸福は人類的な何かである。快楽を求めれば、幸福はそれだけ逃げていくし、幸福を求めれば、快楽は近づいてこない。僕はその孤独の内にあって多くの快楽の泉を見出した。読書、旅、瞑想、思索…これらから得られるものは快楽以外の何ものでもなかった。快楽を求めるあまり、僕は働くことをしなかったし、長い歴史が培ってきた社会制度からリタイアすることにした。快楽には不安が伴い、その不安は幸福を求める。人は快楽が幸福なのだとよく勘違いをする。快楽の泉を掘りまくって、一層不安を募らせる。いずれ立っている足元を自ら崩す。幸福は、人類的生存本能の満足のことなのかもしれない。快楽はきっと単なる生存本能の満足に過ぎない。他者と共に繁栄しているとの実感が幸福感を生むのではなかろうか。

快楽を発見するには、孤独が必要であり、快楽に伴う不安によって幸福への道が示される。

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hajime

Author:hajime
ぜひ、高校生や大学生などの青年諸君に注意深く読んでもらいたい。むやみに多読する必要はなく、知識や思想の力があれば悩みに打ち勝つこともできるのだ。僕自身が高校時代から現在に至るまで苦悩と苦悶を繰り返しながら、懸命に人生について、「善く生きる」とはどういうことか、ということを真面目に考え、行ってきた事実をここに記している。その内容はきっと青年に役立つであろうと思わないではいられない。

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