「これでよかったのだろうか」 どんな人生も、その人にとってはかけがえのない、素晴らしいものだ


誰もが今を懸命に生きている。つまり現在を見ている。そして私たちの人生には未来と現在と過去があり、ときには未来を空想したり夢見てみたり、過去を振り返ったりする。そのきっかけとなるのはいわゆる「人生の節目」と呼ばれるときではないだろうか。卒業、就職、結婚……、その時々に私たちはそれぞれに、さまざまなことを考える。「こんなことやあんなことがあった」と思い出に浸ることもあれば、「これでよかったのだろうか」と過去の自分に問うこともある。

僕自身が今の仕事に就いて、「これでよかったのだろうか」と過去を振り返っている。あくまでこの問いは、現状の否定ではない。しかし、もっと最善が、あるいはどこかに誤りがあったのではないか、という前向きな姿勢からでてくる問いだ。
現在の結果に結び付く過去の時間の過ごし方が、動機として繋がっていないのだ。すなわち何の役にも立っていない如く見えるのだ。
スポーツに打ち込み、勉強に励んできた、多くの時間が今の生活の何にも役立っていないという現実がある。たしかに、これらは人間性の成長を助けてくれた。しかし、これらによって得られた技術や知識、体面は現実に何の役にも立たないところに今の僕はいる。
時間だけではない、親にたくさんお金も使わせた、それに労力だって。楽しみや、友人との時間も犠牲にしてきた、その結果がこの現在という違和感。これに対して、「これでよかったのだろうか」という言葉がこぼれる。

しかし、「これが人生なのだ。」

このように肯定してみるとどうだろう。はたからみたら平凡な、僕の現状と人生にもこうした、ちょっとしたドラマがあるわけである。何気なく日々交流し、言葉を交わし、顔を合わせる人たちの一人ひとりが、こうしたドラマを経て、現在を生きているのだ。僕には僕の人生があるように、彼女には彼女の人生がある。見知らぬおじさんにも、それはそれは素敵な青春もあったのかもしれない。私たちは自分の人生のことには関心を持ち、考えてみるけれども、他人の人生にはえてして無関心だ。他者の人生をも愛せとは言わないが、他者の人生にも関心を持ち、尊重することはしなければならないことと思う。そして他者の人生を豊かにすることができれば素晴らしいし、他者の人生を台無しにしたり、損なうようなことは、何人もしてはいけないし、その権利は決してない。それぞれの人が、自分に与えられた人生をそれぞれの歩幅で歩んでいる。どんな人生も、その人にとってはかけがえのない、素晴らしいものだ。そんなことにさえ、気づいていなかった自分自身がいた。

自分の人生を素晴らしく、それと同じく他者の人生も素晴らしいものであることを願うこと、それは人として大切なことなんじゃないかと思う。

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hajime

Author:hajime
ぜひ、高校生や大学生などの青年諸君に注意深く読んでもらいたい。むやみに多読する必要はなく、知識や思想の力があれば悩みに打ち勝つこともできるのだ。僕自身が高校時代から現在に至るまで苦悩と苦悶を繰り返しながら、懸命に人生について、「善く生きる」とはどういうことか、ということを真面目に考え、行ってきた事実をここに記している。その内容はきっと青年に役立つであろうと思わないではいられない。

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