僕は僕自身を寸分の狂いなくコントロールし、マネジメントしなければならない。


こんなことを考えているうちにわたしは、断固とした人間と、思いがけないできごとと、いまだ過ぎ去っていない時間をもったジャングルが、わたしの芸術の本質や、ある種のテキストのもつ深い意味、また、ある種の傾向の知られざる偉大さについて、わたしの書斎にある、もはや永遠に死んだ多数の本の読書より、はるかに多くのことを教えてくれたことに気づいた。わたしは<先行者>から、人間がいどむことのできる最高の仕事が、自分の運命をつくりあげるそれであることを学んだ。というのも、この都市では、わたしの周囲で、必死であると同時に従順にかけまわっている群集のなかに、無数の顔はみるが、ほとんど運命をみることがないからである。つまり、それらの顔の背後にかくれているいかなる欲望も、反抗も、衝動も、恐怖によって抑圧されていて、けっしておもてに出ることがないのである。人は懲戒に対し、時間に対し、情報に対し、隷属を複数化する集団に対し恐怖を抱いている。種に対して開かれる子宮に対し、果物に対し、水に対し恐怖を抱いている。日付に対する恐怖、法律に対する恐怖、スローガンに対する恐怖、失敗に対する恐怖、封印された封筒に対する恐怖、起こるであろうことに対する恐怖。   『失われた足跡』より


読書が多くのことを教えてくれることは確かである。しかし本がすべてを教えてくれるわけではない。本では学べないことはたくさんある。けれども、読書せずに賢く正しくあることは不可能であるように思える。だから僕は読書しない人から賢く正しい言動がでてこようなどとは期待しない。本が、多くの場合、逃げ道となっていることに僕は薄々感づいていた。著者も読者も両者は本を手段として逃避を続けてきた。善を実践できず、実行できないから書物を記すことでごまかし、自分の性質を隠し、理想の空論をさも自らの思想のように言葉として残してきた著者がいる。読者も賢く、善い人間になろうとするふりのために本を手に取り、賢く優れた人間にみせかけるために、知識を得る。そうした逃避や格好つけをしなくなったのが現代人なのだろう。読書しないのは最高にカッコ悪いと僕は思っているので、そんなことアピールしないだろうが、世の人たちは平気で本を読まない、活字離れが当たり前、それで真剣には誰も何とも思っていない。最高にカッコ悪い。カッコ悪いというのを、僕は世間体を気にするから、自負心があるから言うのではない。誰もいなくても、自分自身をカッコ悪いと思うのだ。モラルにしろ、品位にしろ、優しさ、労り、これらは結局のところ自分自身に対する感覚で、自分に対して申し訳ないとか、カッコ悪い、気持ち悪い、そういう感覚によるのだと思う。この自分に対する感覚は、読書では得られないものの代表でもあろうかと思うが、ここで記されている最高の仕事、自分の運命をつくりあげる、ということでも自分に対してマネジメント、ある信念をもってコントロールするということと同じである。自分をコントロールし、マネジメントするというイメージと感覚は自分が肉体と精神であること、そしてそれらが世界に画然と存在し、それらを間違いなく過不足なく所有しているという認識がなければ持つことができない。この認識のためには、物質的世界における森羅万象と自分の区別、他者が持つ思考と思想、自分の思考と思想の隔たりと相違を体験、体感しなければならない。これを与えてくれるのが読書であり、それ以上に断固とした人間との接触、想像を超えた出来事との遭遇、原始的自然における人類の生活といったような雑味ない肉体による感知と認識なのだ。もっと本能と感覚を刺激するような出来事と書物にふれていかなければならない。僕が僕自身を寸分の狂いなく、完璧にコントロールしマネジメントするために……。

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hajime

Author:hajime
ぜひ、高校生や大学生などの青年諸君に注意深く読んでもらいたい。むやみに多読する必要はなく、知識や思想の力があれば悩みに打ち勝つこともできるのだ。僕自身が高校時代から現在に至るまで苦悩と苦悶を繰り返しながら、懸命に人生について、「善く生きる」とはどういうことか、ということを真面目に考え、行ってきた事実をここに記している。その内容はきっと青年に役立つであろうと思わないではいられない。

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