あの頃の僕は今の僕になんというだろうか 理想は向上心とともに


訪問者たちの特徴のいくつかが、否応なく目についた。男の子や女の子、それに若い女性たちは、たいていが森にやってくることがうれしそうだった。彼らは湖をのぞきこんだり、花を眺めたりして、時間を上手に使っていた。ところが商売をやっている人間――農民すらそうだ――は、孤独な暮らしとか仕事の内容、私の住まいといろんなものとのあいだにある大きな距離のことなどが、片時も念頭を去らない様子だった。彼らは、ときたま森のなかをぶらつくのが好きだ、などと言っていたが、そうでないことは明らかだった。生活費をかせぎ、生活を維持することにばかり汲々としている、おちつきのない束縛されたひとびと。それから、自分たちだけが神を独占してでもいるかのように、神についてしゃべりまくり、他人のいろいろな意見にはいっさい耳を貸さない牧師たち。また、医者や弁護士や、私の留守中に食器棚とベッドをのぞき見するおせっかいなかみさん連――いったい○○夫人は、私のシーツが彼女のほどきれいでないことを、どうして知っているのだろう?――、さらに、すっかり若さを失い、専門職という踏み均された道をたどるのがなにより安全だと思いこんでいる若者たち……こういう連中は、だいたい口をそろえて、私のような立場では、あまり立派なことはできないだろうと言った。なるほど!そこに問題があったわけか。

老人、病人、臆病者たちは、年齢や性別に関係なく、病気や突発事故や死のことで頭がいっぱいだった。彼らにとっては、人生は危険に満ちているようだった(危険など、考えないでいればどこにもありはしないのに)。したがって彼らの考えによると、用心深い人間なら、いざというときにドクターBがすぐにとんできてくれるような、いちばん安全な場所を慎重に選ぶはずだった。(中略)せんじつめれば、人間は生きているかぎり、死の危険につきまとわれているのだ。もっとも、はじめから死んだように生きているならば、その分だけ危険が少なくなることは確かである。人間は、座っていても、走るのとおなじくらい危険を冒しているのだ。

(中略)

この最後の面々とはちがって、ずっと楽しい訪問客もあった。イチゴを採りにやってくる子供たち、日曜日の朝になると清潔なシャツを着て散歩する鉄道員たち、釣りびとにハンターたち、詩人に哲学者たち、要するに、文字どおり村をあとにし、自由を求めて森にやってくる正直者の巡礼たちだった。   『森の生活』より


僕もお盆休みが明ければ晴れて社会人――落ち着きのない束縛された人となる。社会の中で生きるために、社会人となること、そのことに対して僕はネガティブな観念を持っているわけではない。だが、確実に自由な時間は減るわけだし、あらゆるものに対して利害関係や損得勘定を導入して、世界をつまらないものにしてしまうに違いない。文学の話などしなくなってしまうかもしれないし、ひょっとしたら自由や芸術、真理のために生きようとすることを、かつての若気の至りというような恥ずかしい思いをもって振り返ってしまうのかもしれない。

すでに僕は変わってしまった。大学受験のさなか孤独感のなかにあったとき、講義を休んで大学の図書館で一日中、読書に励んでいたころの自分。自分の生き方をしようとして、大学をドロップアウトしたこと。それらは何かに対する反抗だった。同時に自分に素直になろうという一生懸命さだった。あの頃の僕は今の僕になんというだろうか。意気地なしだろうか、立派な大人だろうか。社会に貢献したい、一社会人として役割を果たす、といえば聞こえはいいが、単にもっと金がほしかったのと、周りとの差異に我慢できなくなったのだ。世の中を金で計り、一人ひとり違う、人それぞれの人間存在をひとまとめにし、人間のあるべき形のようなものを勝手に拵え上げてしまっているのだ。あれほど、文学や自由に執着し、熱狂していた僕が、こうも簡単にそれらをある種の無頓着に照準を下げてしまったのはなぜだろう。働きだしたら、また考えてみたい。はたして僕は真には何を求めていたのかと。

死を恐れ、過剰に危険やリスクを想定することは、愚かな人間のやることだ。確かにこの世界にはありえないことのほうがありえることよりも少ないかも知れない。だから、極論をいったら、あらゆることが起こりうる。だから、理想はそれらのすべてをケアし、フォローできるような体制を敷いておくべきなのかもしれない。理想をこのように数学的に、数式として捉えてしまうと大きな過ちをおかしてしまう。理想?充実させるということに理想形は存在しない。理想は向上心とともになくてはならず、理想と目標を同一してはいけない。

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hajime

Author:hajime
ぜひ、高校生や大学生などの青年諸君に注意深く読んでもらいたい。むやみに多読する必要はなく、知識や思想の力があれば悩みに打ち勝つこともできるのだ。僕自身が高校時代から現在に至るまで苦悩と苦悶を繰り返しながら、懸命に人生について、「善く生きる」とはどういうことか、ということを真面目に考え、行ってきた事実をここに記している。その内容はきっと青年に役立つであろうと思わないではいられない。

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