創造物をこの上なくよく理解すること


かねて読み掛けてある洋書を、栞の挟んである所で開けて見ると、前後の関係をまるで忘れていた。代助の記憶に取ってこう云う現象は寧ろ珍らしかった。彼は学校生活の時代から一種の読書家であった。卒業の後も、衣食の煩なしに、購読の利益を適意に収め得る身分を誇りにしていた。一頁も眼を通さないで、日を送ることがあると、習慣上何となく荒廃の感を催おした。だから大抵な事故があっても、なるべく都合して、活字に親しんだ。ある時は読書そのものが、唯一なる自己の本領の様な気がした。   『それから』より


かつて読書するということは大変貴重で、贅沢な体験であったにちがいない。出版物にあふれた現在でも、ほとんどの単行本といわれるような新刊本は2、3千円くらいするし、学術書などの専門書となれば1万円の大台に達するものも少なくない。一方で手軽に手に入る本というのが数多くある。文庫や新書、雑誌のようなものだ。現代はこれらの廉価本が非常に充実していると思う。漱石の時代では考えられなかったほど、手軽に情報を手に入れることができるようになっているのだ。紙の媒体を超えて、今では情報端末によってモニター画面に映し出される画像として情報を得ることさえできるようになった。にもかかわらず、現代は活字離れが進んでいるという。漱石などの優れた頭脳の持ち主たちが求め、研究した多くの傑作、古典が廉価本として手軽に手に入れられるようになっているのになぜなのか。もっと賢くなろうと思えば、すぐにそのための―古典を読むという―手段が得られるのに、人は賢くなろうとしない。読書しない一日は無為の一日に限りなく近いと僕は考えている。「わたしはときどき、美的感動の最高の形は、たんに、創造物をこのうえなくよく理解することにあるのではないかと自問するようになった。いずれ、人々が、玉髄の目のなかや、蛾の黄褐色のビロードのなかに、アルファベットを発見する日が来るであろうし、そのときには、斑点のあるカタツムリのそれぞれが、つねに詩であったことを知って驚くであろう。」(『失われた足跡』より)読書にしたところで、結局は人間とはなんであるかということへの探求に他ならないし、芸術や自然になじむことも創造物の本質に近づかんとする活動という断面をもっている。読書以上に、こうした肉体の感官に直結するような活動の方が、より一層有意であり、読書しなくとも、こうした充実の活動に日を送ることができたなら、それは人生として素晴らしいものとなろうと思う。けれども、本当の自然や、崇高美を持ち合わせた芸術、人間の本質に忠実に生きている人間というものを見極めるのはなかなか難しいと思う。そういうものを見極める力、判断力を身につけた上でなければ、僕たちが創造物をこのうえなくよく理解することなど不可能なのだ。賢くなること、それはすなわち、創造物をこの上なくよく理解することができるようになることなのである。

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hajime

Author:hajime
ぜひ、高校生や大学生などの青年諸君に注意深く読んでもらいたい。むやみに多読する必要はなく、知識や思想の力があれば悩みに打ち勝つこともできるのだ。僕自身が高校時代から現在に至るまで苦悩と苦悶を繰り返しながら、懸命に人生について、「善く生きる」とはどういうことか、ということを真面目に考え、行ってきた事実をここに記している。その内容はきっと青年に役立つであろうと思わないではいられない。

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