選ぶべき仕事について

男子にはその性にふさわしい職業を、そして若者にはその年齢にふさわしい職業をあたえることだ。家に閉じこもって腰をかけてする職業、体を柔弱にするような職業はすべての若い男の好むことではないし、かれにふさわしくもない。

わたしは生徒が不健康な職業にたずさわることはとめるが、骨の折れる職業にたずさわることはとめない。危険をともなう職業でもかまわない。そういう職業は同時に体力と勇気を養う。

若者よ、きみの仕事に男子の手の刻印をあたえるのだ。たくましい腕で斧や鋸をつかうことを学ぶがいい。

どんな人だろうと、みんなが見ているところで、手斧をもち、革の前だれをして働くのを恥ずかしがるとしたら、わたしはもうその人のうちに、ちゃんとした人が笑われることになると、よいことをしながらもすぐに顔を赤らめるような世論の奴隷を見るだけだ。有益な職業はすべて尊敬するからといってそれらをすべてやってみる必要はない。どんな職業でも自分より低いところにあるものと考えさえしなければいい。選択することができて、しかも決定的な理由がないばあいには、同列の職業をくらべて、快適さ、好み、便宜を考えることになるのではないのか。どんな職業でもそれをやる人がいなければならない。しかし、選ぶことができる者は清潔ということを考えてもいい。これは臆見によることではない。この点については感覚がわたしたちの考えをきめてくれる。さらにまた、働く者が技能を必要とせず、ほとんど自動的に、いつも同じ作業に手をつかっているだけの愚劣な職業もわたしは好まない。

すべてをよく考えてみると、わたしがいちばん好ましく思う職業で、わたしの生徒の好みに合っていると思われるのは、指物師の職業だ。それは清潔で、有益で、家のなかで仕事をすることができる。それは十分に体をはたらかせ、職人の器用さと工夫を必要とし、用途によって決定される作品の形には、優美さと趣味も排除されてはいない。
 
もし、たまたまあなたの生徒の天分が決定的に理論的な学問にむいているなら、そのばあいには、かれの好みに一致した職業をあたえることをわたしも非難しはしない。たとえば数学器械、眼鏡、望遠鏡などを製作することを学んだらいい。   『エミール』抜粋


僕が自分自身の職業について考えた時も、おおよそこういった論理的分析による段階をふんで少しずつ無数にある職業を絞り込んでいった。社会のなかでの一労働力としての僕と独立した存在としての僕が同時に存在する必要がある。だからこそ、僕らは職業を選ぶし、慎重になる。まだまだ僕は若い。肉体的力もある、考える力もある。単なる労力として用いるにはもったいないし、とはいえ、社会や自分の生活をよりよくするために用いないのはもっと無責任だ。充実とは、肉体を動かすことと同義だと僕は考えているから、この余りある若き力を活かさない手はない。力、それは男、を意味し、優しさはその反作用として表れる。力を発揮し、優しさを用いなければならないと僕は自分自身に課している。

男性の仕事と女性の仕事を分けると、今の時代では叱りを受けそうだが―いつの時代でもこうした錯誤が見られる―、男と女の性差を認めないようなものであり、それはむしろ不自然だ。男に力があるとするならば、女にはしなやかさや美しさがある。結局のところ、これらを活かすことが直接仕事を意味するようになるのが理想ということになりそうだ。だから、受付や色味を施すような仕事は男向きではないし、力仕事は女向きではない。互いに仕事の取り合いをするのはやめなければならない。女性が社会に進出してきて男の仕事が少なくなってきているという話を聞くが、それはこうしたところからきているように見える。男は男に向いた仕事をするしかない。それは宿命のようなものなのだ。

女性化しつつある男性を僕は軽蔑せざるを得ないし、けっして正しい方向だとは思わない。男が肌を気遣い、スマートな立ち居振る舞いを身に着けようと躍起になる―健康や礼儀と取り違えてしまっているにすぎない。

いくら人のためになるからといって、原発で作業する気にはなれないし、夜勤があるような不規則な仕事もするべきではないと思う。金がほしいのではなくて、快適な暮らしがほしいのだ。僕の限定的な意見を言えば、クールビズがすすめられているとはいえ、やはりスーツを基調としたスタイルは日本の気候にあっておらず、無駄に暑さを感じなければならないから僕はスーツを着る仕事は嫌であった。また真夏に長袖を着なければいけない仕事も嫌であった。僕は生来汗っかきなので、自分よりも周りの人間に迷惑がかかる。運動しているわけでもないのに多くの汗をかいている人を見るのは不快だ。夏に快適な服装で、屋内でできる仕事を選ぶことができたのは満足している。

技能と自由は比例するから、それほど高度な技術を要する仕事は選びたくはなかった。たとえば僕にしか作れないものを売るということになると、お金は稼げるだろうし、多くの人に気に入られることになるだろうが、当然の反動として自由や休みは少なくなってしまう。多少の代わりはいるくらいの仕事を選んだ方が、自由度という意味では賢明という気がする。少なくとも、僕はそういった職業を選んだ。専門職でありながらそれほど高度ではないものだ。もちろん賛否あるであろうし、誇りややりがいというものには不満が残るかも知れないが、僕は快適な暮らしを目指しているのだから問題ない。

いくら学問的にしろ、技能的にしろ能力があったところで、そういったものは低能な大衆の要望に応えるような形でしか使われないのだから、暮らしを快適にはできない。あらゆる発明は人間を堕落させた。僕はその一端を担いたくない。

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hajime

Author:hajime
ぜひ、高校生や大学生などの青年諸君に注意深く読んでもらいたい。むやみに多読する必要はなく、知識や思想の力があれば悩みに打ち勝つこともできるのだ。僕自身が高校時代から現在に至るまで苦悩と苦悶を繰り返しながら、懸命に人生について、「善く生きる」とはどういうことか、ということを真面目に考え、行ってきた事実をここに記している。その内容はきっと青年に役立つであろうと思わないではいられない。

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