欠点のない人間などいない、大事なのは戦い続けること


あるスポーツ選手は言った。「どこも痛くない選手などいない。大なり小なり怪我を抱えてどの選手もがんばっている」と。

同様に心身ともに健康な人は少ない。いないとはいわない。なぜなら、スポーツ選手の如く、生活に必死になっているからこそ、心身にダメージを受けることになるのだから。つまり、毎日を懸命に生きている人が心身に不調を抱えているといえるのかもしれない。少なからず、僕はそう自分自身に言い聞かせている。頭がぼーっとする、だるい、疲れが取れない、やる気が起きない、元気がない。一方で高揚感や幸福感に満たされることもないわけではない。一種の軽い躁鬱病ということにでもなるのだろうが、僕はなにか実際の症状に病名を与えることに意味を感じない。治療として薬を用いることも肯定しない。薬は根本原因を見えにくくする。遺伝子的あるいは先天的な病気だとしても、それは自然界に生きる以上仕方のないことだ。もちろん生活が一定の水準以下にならざるを得ない状態であるならば、薬を用いることで改善させる必要があるが、もし人とは違って大変だという程度なら違う方法を考えた方がいいのではないかと僕は考えている。

僕自身について言えば、働くことやこれからの人生に不安を感じる。体調がもっとよくなり、健全でいきいきした生活が送れるようになればいいと思う。その希望を捨てていないからこそ、現在に前向きになれるのかもしれない。文学や自然を好む人というのは少なからずそうした社会や人生に対するコンプレックスや弱みを持っているのかもしれない。だから、そうしたものからエネルギーや希望を得るために、好むのではないだろうか。

誰だってどこかしら不調を抱えている。自分に与えられた心と体をよく知って、上手にいたわりながら生きていくことだ。そこには平等など存在しない。自然界の掟によって、能力などの個体差は必ずある。遺伝的な優劣があるのは当然だ。けれども、幸福になれる道は平等に存在している。だから僕たちはどうすれば幸福になれるのだろうかということを考える必要がある。そして、そうした不調や欠点のある人間こそ、幸福を感じる機会に恵まれるというのが僕の持論だ。素晴らしい音楽や物語、詩、景色に感動するのは、悲しみや苦しみが癒されるからだと思う。たしかに、ある日とても憂鬱になってしまうことがある。なにもかもが嫌になる、そんな気持ちだ。ところが、そうした絶望的な気持ちがあったからこそ、小さな喜びに、幸せを感じることができるのだ。普通に友達と楽しく過ごせた一時、それにえも言われぬ幸福を感じることができる。たとえうんざりした日が続いても、ある素晴らしい一日によってすべてが打ち消されてしまう。悲しいことに、幸福は常に、不幸をその栄養源にする。

そして、進化論によれば、そうした環境に対する不利な点というのは、それを克服しようと努力することによって、遺伝子的に少しずつ改善されるということだ。キリンが首が長くなったように。だから、薬であったり、諦めによって、その進化や成長の道を閉ざさないことだ。自分自身に打ち勝とうとすれば、必ず自然の法則に従って僕たちは、今よりも強く、たくましくなれるのだ。

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hajime

Author:hajime
ぜひ、高校生や大学生などの青年諸君に注意深く読んでもらいたい。むやみに多読する必要はなく、知識や思想の力があれば悩みに打ち勝つこともできるのだ。僕自身が高校時代から現在に至るまで苦悩と苦悶を繰り返しながら、懸命に人生について、「善く生きる」とはどういうことか、ということを真面目に考え、行ってきた事実をここに記している。その内容はきっと青年に役立つであろうと思わないではいられない。

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