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自分の行動に対する疑いについて


餓えたる行動は、一気に遂行する勇気と、興味に乏しいから、自らその行動の意義を中途で疑う様になる。   『それから』より


僕自身、たしかに何に取り組むにしても、どこか中途半端な気持ち、一歩引いて冷静かつ懐疑的にそれに対してしまう姿勢の持ち主であった。僕の性質は真面目でまっすぐ、完璧主義で負けず嫌い。何かを始めるとなったら徹底的に極めなければ承知しない。何かを始めることは僕にとって大きな覚悟を要するものであった。それでいて僕は、今、現実にやっていることに対して意味を求めないではいられなかった。なんのために?今までの僕は常に形を持った「ある何者か」になるという目的があったから、なんのために?という問題は起こりえなかった。そのためになることがやっていることの意味であり、その活動がそのためになるかどうかが大きな問題であった。それは理屈と理論、気持ちの問題でどうにでもなった。だが、何者になるべきなのか?という問題に立ち至ったとき、すべてが崩れ去った。人生がそれを求めるための思索と実践のフィールドとなったのだ。僕はおそらく深層心理のような、心の深い部分では自分自身がなにになるべきかということを感得している。誰もがおそらくそうであろうと思う。多くの人が日々を生き、自分なりの人生を歩んでいる。これはその証拠である。なにになるべきかということを知っている人はきわめて少ないが、仮に、その心の深い部分を良心といういえば、この良心の影響を少なからず受けながら、そうした人生の選択をしている。人を殺してはいけない、これはもっともわかりやすい例かもしれないが、現に人殺しが存在するのは、この良心に気付く機会が与えられなかった不幸な人間なのである。読書嫌いな人、古典を避け、大衆向けの軽い本を選ぶ人たちも、古典のすばらしさに気付いていないだけなのである。賢明に生きること、ただしく生きることがどれだけ気持ちがいいことなのかを知らないから、そのように生きることができないのである。神はどうにかして、そうした不幸な人たちが正しい道に戻っていけるように、さまざまな試練や課題、障害をこしらえることで僕たちの気を引こうとしてくれる。あらゆる失敗や誤りはそうした、自分の間違った歩みを直すチャンスなのだ。

もし、自分の行動に対して疑いが起こったら、それも一つの教示であり、誤りを含んでいると思った方がいい。単純に、第一の場合として、目的がない場合が多いので、今一度目的をはっきりさせる必要がある。第二に、行動自体が目的となる場合、やりたいからやる、というような場合は、疑いが入り込まぬほど熱心に、心の底からの切望を伴う、情熱的な行動ではないことになるから、より内なる声に従うような行動にシフトさせる必要がある。そして最後に、行動を起こす前に、自分は何をすべきであろうか?という疑問があったら、まさにそれを求めていくことこそが、行動であり、すでに疑いのない行動の中にいるということになる。

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hajime

Author:hajime
ぜひ、高校生や大学生などの青年諸君に注意深く読んでもらいたい。むやみに多読する必要はなく、知識や思想の力があれば悩みに打ち勝つこともできるのだ。僕自身が高校時代から現在に至るまで苦悩と苦悶を繰り返しながら、懸命に人生について、「善く生きる」とはどういうことか、ということを真面目に考え、行ってきた事実をここに記している。その内容はきっと青年に役立つであろうと思わないではいられない。

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