労働に対する幻想と教育

文化は富の土台の上にのみ栄え、富は資本の蓄積によってのみ増大し、資本は正当な報酬をうけない者の労働の蓄積からのみ生ずる、ゆえに、文化は不正から生ずる。


すべての人が正当に働くようになれば、いわゆる社会問題なるものは直ちに解決される、しかし、その他の方法では決して解決されないだろう、ということである。だが、このことは、ただ強制したからとて達成されるものではない。また、たとえ万人が相互に強制し合うことのできる物的手段があったとしても、そこから真に役立つ働きは生まれない。だから肝心なのは、人の心に働きのよろこびを呼びさますことであって、こうしてわれわれは、ふたたび、正しい「教育」の領土にもどってゆくことになる。   『幸福論』ヒルティ著より


「誰もかれもが理屈の上では称讃される勤労から、実際にはできるだけ逃れようとする」のは周囲を見たところ正しく思われる。「労働」はやはり辛いものだし、単調で極端に言えば、毎回同じことをしなければならない。どれだけ好きなことを仕事としていたとしても、客の要望に合わせて、毎度同じ仕事をこなすというのは退屈であるに違いない。そして多くの人はこの好きな仕事にすら就けず、ほとんど誰でもできるような仕事に従事しなければならない。自分の代わりはいくらでもいるという感覚をもって仕事に取り組むのはつまらないものだ。そして労働基準法という少し前の時代に定められた法律に則って、定時を迎えるのを待ち望むというのではあまりに味気ない。残業代を得るために、のんびりと自分の与えられた仕事を進めるというのもなんだかむなしい。

こうしたことが「当たり前」で報酬としての賃金がとてもありがたいということになれば、つまり、労働の評価が正しく報酬として表れれば、労働者はそうした冷遇にも耐えられるのかもしれない。しかし、時代は変わり、私たちはがめつく、貪欲になってしまった。賃金に不満を抱くようになってしまった。その結果、労働はますます質の悪いものになった。

学校という教育機関を経て、私たちは社会人、労働者として生きるために教育されてきた。経済や社会、伝統や文化を学びながら、人としての人格形成、他社とのコミュニケーション、組織や集団の中での行動とふるまい、そうしたものは身につけることができた。けれども、最も重要で大切な労働についての考え方と、労働の在り方、そもそも労働とはなんであるか、経済の仕組み、資本主義のなんたるか、もし、私たちが誰でも、そうしたすべての人から厭われる労働に宿命として就かなければならないのなら、立派な労働信仰のための洗脳を教育機関の中で行ってほしかった。自由や休息の幻想や、成功や富という幻夢を近づけないようにしてもらえたなら、僕自身も労働に対して疑うことなく、むしろ希望とやる気をもって取り組んで行けたと思う。しかし、疑う気持ちと理想やありえぬ幻想が眼前にちらつくからこうした釈然としない気持ちで今、労働の前でぼんやりと、過ぎし青春と子供時代を懐かしんでいるのだ。僕が僕自身を所有する期間は終わった。僕は社会の一人として、大きな社会という巨岩を支える一つの石塊とならなければならない。もうそろそろその覚悟ができそうだ。それに、少なからず喜びと希望をそこに見出せそうである。

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hajime

Author:hajime
ぜひ、高校生や大学生などの青年諸君に注意深く読んでもらいたい。むやみに多読する必要はなく、知識や思想の力があれば悩みに打ち勝つこともできるのだ。僕自身が高校時代から現在に至るまで苦悩と苦悶を繰り返しながら、懸命に人生について、「善く生きる」とはどういうことか、ということを真面目に考え、行ってきた事実をここに記している。その内容はきっと青年に役立つであろうと思わないではいられない。

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