やましい幸せを味わおうとのむなしい努力 幼き日々


私は、独得に自己の内にかいこのように閉じこもった生活を夢遊病者のように営んでいたが、いまその中に新しい形成が生じ始めた。生へのあこがれが私の中によみがえった。むしろ愛へのあこがれと、しばらくのあいだベアトリーチェ礼拝の中に溶かし去ることのできた性の衝動とが、新たな形と目標とを要求した。相変わらず実現にはいたらなかった。あこがれをまぎらすこと、―私の友だちたちは少女に幸福を求めたが―少女たちからなにかを期待することは、私にはいつよりも不可能だった。私はまたひどく夢を見た。しかも夜よりも昼しきりに夢を見た。さまざまの観念、形やあるいは願望が心にわいて来、私を外面的な世界から遠ざけたので、私は現実の環境とよりは、心の中のこれらの形や夢、あるいは幻と、より現実的により活発に交わり、かつ共に生きた。   『デミアン』より


僕には多くの人が持っているであろう生きるという本能的欲求が欠けていたから生きるための活力が必要で、自我が芽生えるまでは無意識にそれを有して事もなく生きて、過ごしていた。その生きる活力を失って初めて自我が生まれた。なんとかして生きる活力を見いだそうとしたのだけれど、ダメであった。生きる意味が解らなくなって、僕は内にこもるようになってしまった。人と接しても心が通う気がしなくて空虚感におそわれた。利己心が巣食う愛には嫌悪感を抱いた。人を愛するということを知らず、性を好んで、人間を好まなかった。そのことに強く自己嫌悪を感じた。愛や幸福が人間の精神や状態を高めるものだとするならば、なにゆえに未熟な同世代の少女にそれらが期待できるだろうか。利己心のぶつかり合いで、傷つけ合い、他者との埋めがたい隔絶があることを痛感する以外になんの得るものとてなかった。一時の自尊心の満足や恍惚があったとしても、夢と幻の中を行き来する僕にとってはそれはあまりに味気なかった。だからといって美しい大人はおらず、大人と言えば社会規範の権化でしかなく、手を差し伸べ、世界へと導く真の大人はいなかった。ましてや愛で包み込んでくれるような、美しき女性、未熟な少年を抱擁し、甘美な快楽のひとしずくを与えてくれる天使は現れてはくれなかった。思考力と想像の力は弱く、ロマンや小説はあまりに崇高で気高く、僕はひとり不完全な幻の中で、やましい幸せを味わおうとむなしい努力を続けていた。

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hajime

Author:hajime
ぜひ、高校生や大学生などの青年諸君に注意深く読んでもらいたい。むやみに多読する必要はなく、知識や思想の力があれば悩みに打ち勝つこともできるのだ。僕自身が高校時代から現在に至るまで苦悩と苦悶を繰り返しながら、懸命に人生について、「善く生きる」とはどういうことか、ということを真面目に考え、行ってきた事実をここに記している。その内容はきっと青年に役立つであろうと思わないではいられない。

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