読書と、執筆、それに加えて実践 世界はたしかに素晴らしいのだけれど、とても満足できるものではない


「なんのためにきみはいま酒を飲むのか、それはぼくたちふたりにはわからない。きみの生命を作っている、きみの内部のものには、それがわかっている。われわれの内部に、すべてを知り、すべてを欲し、すべてをわれわれ自身よりよくなすものがいる、ということを知るのはきわめてよいことだ」


「自分の夢や期待や内的な変化については、たとえ欲したとしても、だれのも一言も言うことはできなかったろう。

だが、どうしてそんなことを欲することができたろう?」


「十分強く欲することはうまくいく」


「まなざしと考えとで非常に多くのことをなしとげうる」


「われわれはあがめる神を持ってはいるが、その神は、かってに引き離された世界の半分(すなわち公認の「明るい」世界)にすぎない、人は世界全体をあがめることができなければならない、すなわち、悪魔をも兼ねる神を持つか、神の礼拝と並んで悪魔の礼拝をもはじめるかしなければならない」   『デミアン』 ヘルマン・ヘッセ著より


文学史上で名高い作品の数々、『デミアン』もその一つに数えられると思うが、そうした作品は注意深く読むと、実に多くの名言、名文によって構成されていることに気付く。僕も今まで、特に近年は読書を重ねてきたつもりであったが、そうしたものの皮相だけを学び、深みと真意を汲みつくすには到底及ばない姿勢で取り組んでいるにすぎなかったことを今痛感している。文学や哲学が求めるものを的確に言い表すことはできないが、おおよそその範疇にある思想の断片に触れればそれとわかるくらい、僕も感覚を磨いてきた。そこで、「もう読書はさほどしなくてもいいのかな」という思いにいたった。だが、思想という形で良心をかたどることができたとしても、それが行動規範まで有用性を持つようにするためには別に努力が必要である。「言うは易し、行うは難し」というように、例えば、「平和を願うことではなく、平和のために生き、行動することができるかが問題である」ことと同じだ。そうした、いわゆる人格を形成するために読書をしなければならない。それが今後の僕自身の課題だ。優れた書物とその思想の分別は心もとないものの、確かなものになりつつある。それを自分自身に定着させ、物にする訓練が必要だ。読書と、執筆、それに加えて実践ということをしていかなければいけない。

僕は以前から、この世界に二つの大きな不完全さがあることについて頭を悩ませていた。生き物が他の生き物の命によって生きることができるということと、人間という弱い存在は地球という自然を損なわずには生きながらえることができないということだ。だから、もし神がいるとするならば、とても崇め奉って、全幅の肯定と賞賛を与えるわけにはいかないと考えていた。真に力があり、善良なものならば、もっとよい世界が造りだされたはずなのだが、事実はそうではない。神に対するこのような不相応な価値観は持つべきではないのではなかろうか。悪魔と神は一体であるとするか、神についても、悪魔についても同様の経緯を持つか、どちらかでないといけないということになる、でなければ、現実を否定するしかないのであるが、生きるということをゆるぎない大前提にするのであれば、そうはいかない。つくづく思う、世界はたしかに素晴らしいのだけれど、とても満足できるものではない……。

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hajime

Author:hajime
ぜひ、高校生や大学生などの青年諸君に注意深く読んでもらいたい。むやみに多読する必要はなく、知識や思想の力があれば悩みに打ち勝つこともできるのだ。僕自身が高校時代から現在に至るまで苦悩と苦悶を繰り返しながら、懸命に人生について、「善く生きる」とはどういうことか、ということを真面目に考え、行ってきた事実をここに記している。その内容はきっと青年に役立つであろうと思わないではいられない。

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