頭を下げるか 他者への貢献を果たしておくか


「それ程偉い貴方でも、御金がないと、私みた様なものに頭を下げなけりゃならなくなる」

「然し誰も御金を貸し手がなくって、今の御友達を救って上げる事が出来なかったら、どうなさる。いくら偉くっても駄目じゃありませんか。無能力な事は車屋と同なしですもの」   『それから』(改)より


「お金だけでは幸福を手に入れることはできません。人間に必要なものは、お金のほかに、健康な身体と優しくて豊かな心です。この三つが揃うと、すべての願いが満たされるのです。

では、お金がないと人間はどうなるのでしょうか。お金がなければ人間は生きていけないのでしょうか―。

もちろん、そんなことはありません。

でも、現実には、お金がないと一つだけ困ったことがあります。それは、嫌な奴に頭を下げなければならないということです」   (斉藤一人の言葉)


お金が労働の対価であることは誰もが知っている。しかしその関係性ということになると、あまり考えたことはないのかもしれない。

所持金は、それまでに持ち主が果たしてきた他者への貢献度を表している。その貢献というのは当事者間で行われるものであるから、内容の善悪は問題にならない。実に、このことが大きな欠陥ではあるのだが、仕様がない。

一度このように貢献がお金の形に変わってしまえば、同意さえ得られれば、他者から手助けなどのような労働を同様に獲得することができる。どちらの場合でも善悪や公正さなどは問題にならない。まったくお金とは二面性を持っているのだ。悪いように利用しようとすれば容易に利用できてしまう。

このようにお金を巡って、とっかえひっかえ対象者が変化していく。労働あるいは貢献の保障であり、価値基準を定めてくれているのがお金である。だからお金がないと、「人のために労働あるいは貢献をしたことのない人のために、私は働くことも手助けすることもできません」という理屈になる。そこで、「どうか、この通り、頭を下げるから頼むよ」という行動をとらざるを得ない。説明するとすれば、これは借りを作るということであって、債権を与えるのと同じだ。借金ではなく労働を借りるというものであろう。親しい仲であればそうした借り、あるいは貸しも可能だろうが、全くの他人同士ではそうはいかない。やっぱりどこかへ行って働かしてくださいと頭を下げて、お金をもらうしか方法がないことになる。いっそのこと、他人に頼むということをやめてもいいわけだが。

安い頭ではないから、人生で必要以上に頭を下げないで済むように、それなりに他者への貢献と労働を果たしておくべきだ。できることならば、公正なやり方でお金をもらうといいのだが、現代の資本主義がそれを受容できるほど健全であるかどうかは疑わしい。

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hajime

Author:hajime
ぜひ、高校生や大学生などの青年諸君に注意深く読んでもらいたい。むやみに多読する必要はなく、知識や思想の力があれば悩みに打ち勝つこともできるのだ。僕自身が高校時代から現在に至るまで苦悩と苦悶を繰り返しながら、懸命に人生について、「善く生きる」とはどういうことか、ということを真面目に考え、行ってきた事実をここに記している。その内容はきっと青年に役立つであろうと思わないではいられない。

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