「自分以上に相手を愛せ」、そして ~「自分を愛するように相手を愛せ」を超えて~


ひとからなされたいようにひとにもなせという、かのキリスト教の戒律も、自分がどうなされるかには無頓着で、新しい流儀で敵を愛し、敵がすることをほとんど全面的に気前よく許すところまでいっていたインディアンたちの耳には、たいした説得力をもたなかったのである。

貧しいひとびとには、ぜひ彼らがもっとも必要としているものを与えるようにしたまえ。ただし、諸君のそうした模範行為によって、彼らは、はるかうしろにとり残されるだろう。金を与えるなら、本気で、身を入れてすべきであり、ただ漫然と投げ与えるだけではいけない。われわれはときどき奇妙な過ちを犯す。貧しい者は不潔で、ぼろを着て、見てくれはわるいかもしれないが、そのわりにはたいして凍えても飢えてもいないことがよくあるのだ。それはある程度彼の趣味からきているのであって、不運とばかりはいえないのである。そういう男に金を与えれば、たぶんもっとたくさんのぼろを買いこむであろう。   『森の生活』より


子どもの頃、僕は「目には目を、歯には歯を」という教育を受けていた。「やられたらやりかえす」、それは子どもの世界では有効であり、弱虫とみなされないためには必要な律法であった。その結果、僕は傲慢で自己中で、優しさに欠ける、どうしようもない悪ガキのお山の大将になっていた。人としての分別がつきだしたころ、歴史の授業で「ハンムラビ法典」という世界最古の法典を学び、その主たる律法に「目には目を、歯には歯を」があることを知った。このときの紹介のされ方が、その律法の未熟さを批判するようなもので、その結果、僕自身はこの律法に対して嫌悪感を抱いた。平和が世界の歩むべき道であることは漠然としてはいたものの、明確に了解していたし、「やられたらやりかえす」という方式では平和でいられないということも理解した。そのうちに「ひとからされていやなことは、ひとにもするな。自分のしてほしいことを他人にもししてあげよ」という教訓に代わっていた。成功の黄金律とも呼ばれるそうだが、立身出世、成功することが人生の果たすべき目標という盲目な人生哲学から導き出された教育だったのだろうが、考える力のない僕はそれを鵜呑みにし、できるかぎり自分を分析し、自分を知り、嫌なことうれしいことを判然とさせ、その黄金律に従おうと努力した。ところが、僕は考え方や性格が、一般的ではなく、常識からも離れたところがあったため、自分の意図したこととは異なる結果や反応を受けることが多かった。僕が重視すべきと考えるものが、相手にとっては全く取るに足りないものであったりするのだ!一人ひとり人間には個性があり、好みも傾向も様々だから、自分自身を基準にした黄金律というものは結局のところ、統計や分布の問題となり、平和や幸福へ続くものではなかった、極端には格差や隔絶を生み、世界を小さく、狭いものにしてしまう危険な発想だとわかった。僕がおとなになる前のことだ。

たくさんのトラブルや他者との軋轢、誤解されることはまだしも、誤解することもまた多くあり、傷つけてしまうこともあった。エゴとエゴとのぶつかり合い、主義・主張の応酬、損得、利害関係、それらがからみあう複雑な社会を眺めたとき、他社を理解し、そのうえで「相手の必要としているものを与え、同時に責任を背負う覚悟をもたなければならない」、「人に善を成す時は謝りながらしなければいけない」ということにもつながってくるが、自分を感情にいれずに、最初から最後まで相手という存在に近似できるか。それが求められるのだ。

こうして僕自身の思想の変遷を見てくると、歴史と同じような動きをしていることがわかる。世界の幼少時代にはやはり「目には目を」の律法が採用されていたわけだし、2000年前から現在までは主にキリスト教でみられるような「自分を愛するように人を愛せ」ということが言われる。それでも現代はまだまだ未熟で大人になりきれていない。「自分以上に相手を愛すること」、どう考えてもこちらの方が高尚であるように思われる。事実、自分を愛するようにというのは、自分以上に相手を愛せということが理想で、こうした律法が順守されないことが前提とされているため、一段階前の次元の律法が定められてしまうのだ。皆が皆、他者を自分以上に愛することができるならば、これ以上のことはないだろう。自分を愛する愛は一つだが、他社から愛される愛は無限だ。そして、しまいには人間愛を超えて、世界を、宇宙全体を第一に考え、愛する時代が来るのではなかろうか。とにかく、現段階では、優れた人間であろうとするならば、自分以上に他者を愛する努力をする必要がある。

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ふっとなごみます

こんばんは
ばかばかしくも淺はからしきばかりが世の中にはびこってますが・・・・。

世界観や時間の遠大といった意味で視野がすごくひろく長いスパンでかんがえておられるなあとこのところの文章にかんじています。いぜんよりずっと。
とはいえ生活のこともだいじですものね。
現實におとしこんでも段差がなく,むりなく連環するような思索がなにごとにおいてもできるとすばらしいですね!
生活は生活でせまくてほそくても,深い淵やときにぽかっと陥穽が(井戸?)があったりしますし・・・
漱石なぞまさに,と思います

おやすみなさい~~

Re: ふっとなごみます

玄少子さん、いつもありがとうございます。

考えの移り変わりを客観的に把握してもらえているのはとてもありがたいことです。今、世の中でいいことはあるのでしょうか?ニュースは人の不幸は蜜の味ということで、視聴率本位で、つまり金になることしか放送しませんから、私たちに純粋に美徳とでもいうようなものを知る機会が少ないです。周りの人たちとも疎遠ですし、なんだか残念な気持ちがしています。

現実に落とし込んで、段差なく、むりなく連環するような思索…、その通りです、現実と向き合わなければならない。そんな風に強く感じていますが、心や感情がなかなか、現実に接するとみだされてしまっていけないです。
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hajime

Author:hajime
ぜひ、高校生や大学生などの青年諸君に注意深く読んでもらいたい。むやみに多読する必要はなく、知識や思想の力があれば悩みに打ち勝つこともできるのだ。僕自身が高校時代から現在に至るまで苦悩と苦悶を繰り返しながら、懸命に人生について、「善く生きる」とはどういうことか、ということを真面目に考え、行ってきた事実をここに記している。その内容はきっと青年に役立つであろうと思わないではいられない。

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