自分で作って手に入れられるいいものを、お金を払って手に入る悪いものに


いろんな品物にまぜものをしてそれを実際のものよりよく見せかける、そういうことが行われている。そういうまぜものは人々の目と舌をだます。しかし、それは有害であって、まぜものをしたものを、見かけはよさそうでも、まえよりも悪いものにしている。

とくに飲みもの、そしてとくにぶどう酒にはまぜものをすることが多い。そのごまかしは見わけることがむずかしいし、にせものをつくる者にいっそう多くの利益をもたらすからでもある。   『エミール』ジャンジャック・ルソー著より


食事は人生の喜びのひとつである。人生の中であらゆることは省略することができるが、食事は省略することができない。贅沢にも質素にも、入念にも質素にもすることができる。現代は飽食の時代で、食うものに困るということは、普通に暮らしていれば縁のないことで、それどころか毎日多くの残飯と食料が廃棄されている。しかし、世界では飢餓で苦しむ人々が多く存在することを考えると、本当に由々しき事態でもある。

ところが、だ。

私たちが口にしている食品は安全で、なおかつ自然本来の味をもった本当の大地の恵みなのだろうか。都会に住む人々、都会ではなくとも、住宅地に住む僕のような人間もやはり、周りには大きな畑もなければ、きれいな海や川もないので食材は流通と加工を経た、まぜものや添加物を含むものを食べなければならない。その上、資本主義の原理に基づいて安さと利便性を重視した、不自然な小細工とごまかしを施された食事に甘んじなければならない。自然でまぜもののない食材は資本主義の原理とそれに伴う既成構造に邪魔されて、より一層手に入りづらくなり、不自然にも裕福な人々しかあり着けなくなってしまっている。いつの間にか逆転構造が出来上がってしまった。自分で作って手に入れられるいいものを、お金を払って手に入る悪いものに置き換えてしまった。

もしかすると、恐るべきことに僕は本当のお米のおいしさ、本当の野菜の味を知らないのではないだろうか?自分で作った食材で作った食事というものを僕はほんの一部でしか知っていない。家庭菜園で作った微々たる食材を食卓に並べたに過ぎないものだ。

労働もいいのだけれど、せっかくの労働も悪い食事のためにしなければならないとしたら、なんという悲劇であろう。

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hajime

Author:hajime
ぜひ、高校生や大学生などの青年諸君に注意深く読んでもらいたい。むやみに多読する必要はなく、知識や思想の力があれば悩みに打ち勝つこともできるのだ。僕自身が高校時代から現在に至るまで苦悩と苦悶を繰り返しながら、懸命に人生について、「善く生きる」とはどういうことか、ということを真面目に考え、行ってきた事実をここに記している。その内容はきっと青年に役立つであろうと思わないではいられない。

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