人生、ことにそれを形成する生活の本質

何エーカーかの土地を相続した、ある知り合いの若者は、財産さえあれば自分もあんたのように暮らすんだが、と私に言った。だが私は、ひとさまに決して私流の暮らし方などまねてほしくない。そのひとが私の生活法をどうにか習いおぼえる前に、こちらは別のやり方を見つけてしまっているかもしれないということもあるが、世のなかにはなるべくいろいろな人間がいるほうがよいと思っているからだ。むしろめいめいが、父や母や隣人のではなく、自分自身の生き方を発見し、それをつらぬいてほしいものだ。青年は、家を建てるなり、木を植えるなり、海に乗り出すなり、好きにするがよい。ただ、本人がやりたいとこちらに言っていることが、さまたげられることのないようにしてあげたい。船乗りや逃亡奴隷が北極星から目を離さないでいるように、数学的な一点を目指すことによってのみ、われわれは賢くなるのだが、これは一生の指針としても十分に通用する。予定の期間内に目的港にたどり着くことはできないかもしれないが、正しい航路を進みつづけることはできるのである。   『森の生活』より


『森の生活』が教えてくれることは、「森で生活すること」であろうか?森での生活はあくまでソロー自身が自分の生き方の選択として採用したに過ぎない生活であって、その教えるところのものは、「人生、ことにそれを形成する生活」の本質なのである。私たちは主人に仕え、主君に仕え、国家に仕え、両親に仕え…というように歴史を歩んできた。現代の人には天皇万歳を叫んだ人や特攻隊で飛び立った若者たちの思想と気持ち、感情を理解することはできないだろう。人間の利己心はどんどん大きくなっていき、自分を第一に考えるようになってきた。それでも教育や慣習というものは常に一つ時代が遅れたままで存在するものであるから、そうしたエゴイズムのなかにあっても、おのずと時代風潮と強大な力へと人生の目的港が定められてしまっている。そうしてとうとは気づかずに私たちは歩みを続ける。そのように私たちの人生の目的というものは権力によって、あるいは信仰によって他から定められた一点、形式をも含めた限られた人生が求めるべきものとして教育され、奨励されている。画一的な生き方が結束による安心感とでもいうものをもたらし、安住の地の観を呈し、それにそぐわぬものに対しては厳しい批判と、排他運動がおのずと持ち上がってきた。そうした問題が起こるのも、理想は常に理想であるにもかかわらず、その時代の権力者や実力者が、その力を誇示しようと理想を現実へとすり替えることに懸命になるからなのだ。答えがないものに、答えが与えられることに人間は弱い。脆弱で表面的ななんの証明も伴っていない答えであっても、人々は飛びつき、どれが答えであると頑強になる。しかし答えなどないのだ。日々理想に近づこうと努力と思索を続けるよりほかない。そしてみながそれぞれの生き方を模索し、実践し、見つけ出していけばいい。そういう生き方をしていってこそ、社会の不備や倫理の誤謬、人間の本質、ひいては真理ということが徐々に明らかになっていくに違いない。時代には時代に合った生き方もあり、一人ひとりの個性に合った生き方というのがあるに違いないから、だれも生き方を強制してはならない。その生き方の一例として、しかも実践力と表現力、なにより人生に対する真摯な姿勢を持っていたソローの人生観とその記録は大きな意味を持つ。今一度、たとえわが人生に満足している人であっても、見なおしてみて、より高級で高尚な人間とその生活を送ってみようではないか。

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hajime

Author:hajime
ぜひ、高校生や大学生などの青年諸君に注意深く読んでもらいたい。むやみに多読する必要はなく、知識や思想の力があれば悩みに打ち勝つこともできるのだ。僕自身が高校時代から現在に至るまで苦悩と苦悶を繰り返しながら、懸命に人生について、「善く生きる」とはどういうことか、ということを真面目に考え、行ってきた事実をここに記している。その内容はきっと青年に役立つであろうと思わないではいられない。

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