人類愛と自己愛の矛盾

「あの婆さんと同じに、あたしももうおしまいなの……さあ、ほら、急いであんたの若さをさがしにゆきなさい。あんたの若さは、年増女たちにほんのちょっとすり減らされただけなんだわ。まだいっぱいのこっている。あんたを待っているあの娘にも、まだいっぱい若さがのこっているわ。あんたは味をおぼえたのよね、若さの味を!それはひとを満足させるものではないけれど、でもかならずひとはそこにもどってゆくものよ……ねえ、昨日の夜にはじまったことじゃないでしょ、あんたが比較してみるようになったのは……それにしてもあたしはなんでこんなことをしているの、こんなお説教をしたり、心が寛いところを見せようとしたり?わたしがあんたたちふたりについてなにを知っているっていうの?あのひとはあんたを愛している。今度はあのひとが心配して震えおののけばいいの。あのひとは苦しむだろうけれど、それは男を愛する女としてであって、道を踏みはずした母親として苦しむわけじゃない。あんたは主人としてあの娘に話すのよ、わがままな男妾としてではなくね……さあ、早く……」   『シェリ』より


若さとはなんであるか?考えればすぐに答えが導き出せる。そう、未熟と美しさ、そしてエネルギーである。すなわち若さは欲望と密接に関係しているようである。そして欲望は満足とは両立しない概念である。だから若さは人を満足させるものではないというのだ。

女性についての若さということに限定してみるとどうだろうか、とたんに若さが肉体と結合され、認識される。その意味するところは結局のところ、女性という「性」における若さというのは人間全体としての若さとギャップがあるということだ。人間として若くても、女性としてはもっともいい時期というのが一般に言われる「若い」ということであって、これはもっとも単純な男と女の関係性から導かれる、しかし人間は社会的動物であって、子孫繁栄が存在意義とは到底思えない。そのため、どうあっても結婚や家族制度、そういった中での社会との関わりあいというものにひずみが生じる。これらが現代の人間と社会における大きな問題を引き起こしているように思えてならない。人類としての個体が増加し、その中で優れた遺伝子が形成され、後継され、進化していくことが疑いをいれない至上命令とのことであれば―人間特有の「気持ち・感情」が入り込まなければ、なんの問題も起こらず、ただ本能の赴くままに、もっといえば自由に無思慮になすがままに、川の流れのように身を任せればすむのである。

してみると、男親と女親の存在意義、その働きということを考えてみると、現代では徐々に変わりつつあるものの、お金と子育てという二つを難なくクリアすることができればよく、もはや限定された子どもにとっては既存の父親と母親でなくてはならないということが次第に意味を持たなくなってくるように思える。愛を制限するための条件になって、かえって世界や社会の悲劇や軋轢を生んでいるのもこの事実であるように思う。当り前のことだ、なぜなら人類共存、共栄を目指し、そこへ向かおう、向かわせようとしながら、生存競争という枠組みにとらわれ、それを頑として貫き通そうとしているのである。この「シェリ」という物語の悲劇もとどのつまり、人類愛と自己愛(生存競争の根源)との矛盾によるのである。真の愛はこうした矛盾を許さない、人は孤独をもっとも恐れる、だからこそ人類愛からいつのまにか自己愛だけに執着するようになってしまうのだ。孤独が完全にありえないという事実があれば、人はもっと愛に身を注ぐことができるにちがいない。

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hajime

Author:hajime
ぜひ、高校生や大学生などの青年諸君に注意深く読んでもらいたい。むやみに多読する必要はなく、知識や思想の力があれば悩みに打ち勝つこともできるのだ。僕自身が高校時代から現在に至るまで苦悩と苦悶を繰り返しながら、懸命に人生について、「善く生きる」とはどういうことか、ということを真面目に考え、行ってきた事実をここに記している。その内容はきっと青年に役立つであろうと思わないではいられない。

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