世界は若者のためにこそある、希望と共に。


近年に作られた(SF以外の)映画を見るたびに僕が思うこと、それはなにか「物語」をつくりたい、いやつくれるはずだということだ。というのはそれがそれほど難しいことには思えなくなるのである。普段多くの歴史的文学作品に触れていると、まったく自分の思想も技術も到底及ばないという思いに打ちのめされる。しかし映画となるとそのストーリーは大体陳腐なものが多く、しかもその制作に関わっている人の多さ―これは撮影技術も含めてだろうが、脚本も複数のブレインによってつくられているようだ―をあわせ考えてみるとそれほど難しいことに思えないのだ。無論文学作品は一人の思想、一人の手によってつくられるべきで、そうでなければならないが、思い切って描いてみればそれなりのおもしろいものができそうな感じがする。とにかく僕は描きたいし描かないではいられない。目的を持たず、ただ自分がおもしろそうだと思えるものを描いてみればいいのではないか、と最近では余裕を持って取り組むことができているようにも思う。

ところが、実生活ともなるとなんとも自分自身が頼りなく、まさに考える葦、社会の臭気に息が詰まってしまうのである。厚顔な自尊心と盲目的な自由の追求、社会に対する鼻持ちならない反抗心、理想の博愛主義、現実の厭世主義。そんな思想を心に秘めてひたむきに他者のための骨折りを笑顔でできるわけがない。ましてや先輩方にお追従の一つや二つのでるわけもなし。金のための争いを戦い抜く力なく、勝ちきるなんて夢のまた夢。貧乏よりも裕福がいいが、誰かを働かせるのなら、みずから働くことを選ぶ。けれども働かせられるのはごめんこうむりたい。だから今の状況があって、芸術の世界に安穏を見いだしたのだ。しかし、世の中甘くない。芸術の世界の視線は冷たい。というよりも冷ややかだ。ほとんどの活動は日の目を見ない。ただ労力のカスだけ残る。僕には闘うための爪がない。牙もないのだ。自分であえて誇るものはなし。僕はお客さんは恐れない。仲間を恐れる。頭の固い年長者をもっとも恐れる。主義主張の意味を成さないところにこそ悲惨がある。自分自身の正しさほど人間個人にとって強力なものはない。その前ではなにもかもが意味を変える。私は私で、私の信条はこうである。それに従って私は生きるのみである。この前で文学、意見、主張がなにになる?

「数学者は決して忘れてはならない。他のいかなる芸術や科学の分野にもまして、数学が若い人のものであることを。」(G・H・ハーディの言葉)  

 

というように、若い人の思想や思考こそ柔軟性があって、創造力があって、経験や役にたたぬ幻想の教訓が邪魔にならない純粋な混ざり物のないものだ。文学も世界の美しさも、若者にとってはそれは郷愁や懐古ではない。希望であり、夢であり、まだ見ぬ底知れぬ世界のエネルギーなのだ。自分を映す鏡だ。世界への愛着ではなく、世界への羨望である。

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hajime

Author:hajime
ぜひ、高校生や大学生などの青年諸君に注意深く読んでもらいたい。むやみに多読する必要はなく、知識や思想の力があれば悩みに打ち勝つこともできるのだ。僕自身が高校時代から現在に至るまで苦悩と苦悶を繰り返しながら、懸命に人生について、「善く生きる」とはどういうことか、ということを真面目に考え、行ってきた事実をここに記している。その内容はきっと青年に役立つであろうと思わないではいられない。

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