犠牲にするなら今の自分か老後の自分か 満足感と幸福感 資本家と労働者 

こうして人生の価値が最低となる老年期に、あやふやな自由を楽しもうと、人生の最良の時期を金儲けに費やすひとびとを見ていると、まずインドへ出かけていってひと財産つくり、それからイギリスに戻って詩人の生活を送ろうとした、あるイギリス人のことを思い出す。この男はすぐさま屋根裏部屋へあがって詩人の生活をはじめるべきだったのだ。「なんだって!」と百万のアイルランド人が、この国のあらゆる仮小屋からとび出してきて叫ぶ。「おれたちがつくったこの鉄道が、ろくなものではないって言うのか?」そんなことはないさ、と私は答える。どちらかといえばいいほうだろうよ。だって、君たちはもっとろくでもないことを仕出かしていたかもしれないんだから。ただ、兄弟として言わせてもらうがね、こんな土くれを掘り返すよりも、もっとましな時間の使い方があったんじゃないかな。   『森の生活』より


僕は老後の自分に申し訳ない気持ちで日々を送っている。多くの人たちは年金を支払い、それぞれに未来を見据えた貯蓄をしているのに、僕は年金もなかなか十分に支払えず、ましてや老後のためのお金など預金口座にも家の金庫にも入っていない。若い自分を犠牲にすることよりも未来の老いた自分を犠牲にすることを選んだのである。そこにはわずかに可能性と希望のはいる余地がある―すなわち、若さを犠牲にせず、有効に有意義に使ったために老後にまでその効果と成果を持ち越すことになるかもしれない。僕は常に理想を追い求めていたい、なるべく犠牲なく、今をよく、そして未来もよくしていきたいのだ。みすみす今ある幸福と自由を手放す気にはなれない。リスクを負うだけの意義があるならば、いくらでもリスクを負おうと思うのである。

仕事の喜びというものを僕も知っているつもりである。「森の生活」では自給自足のような自分の手による生活を快適にするための労働を推奨し、実践していた。そこには想像するに満足感というものが多いように思う。ここでいう満足感は幸福感と区別して考えたい。人のために働いてこそ幸福感を得るというのは、アランの『幸福論』の中でも言及されていたと思うが、自由と満足感のある自分のための労働か幸福感のある他者のための労働、どちらかを選んで仕事とすることができたならば、暮らしはどれほど豊かなものになるであろうか。もし他者のための労働であれば、資本主義の原理に従い、金銭の報酬を得られるので生活を快適にすることもできるし、自分のための労働であれば生活を愛着に持つことができる。けれどもほとんどの人びとは、"資本主義の原理"に従って―資本家のための労働をしなければならない。そして法の下の自由と奉公に対する自己満足でなんとかやっていくわけである……。

資本家のことについて僕は何もいう言葉を持たない……彼らにはそもそも聞く耳というものがないのだから……。

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漢詩は便利

青年感覺 木枯哀,
不必想到 薪爐灰。
孤樹才聞 聲風雨,
自恃自由 新古恢。

こんなかんじですかww
恢は広く大きい。
枯薪すなわち古新。

玄少子さんへ

ありがとうございます。

漢詩をプレゼントしてくださって感激です!!
リズムと余韻、雰囲気というか間が特に味わい深くしますね。
そんな感じですね!素敵な詩で気にいりました。

プロフィール

hajime

Author:hajime
ぜひ、高校生や大学生などの青年諸君に注意深く読んでもらいたい。むやみに多読する必要はなく、知識や思想の力があれば悩みに打ち勝つこともできるのだ。僕自身が高校時代から現在に至るまで苦悩と苦悶を繰り返しながら、懸命に人生について、「善く生きる」とはどういうことか、ということを真面目に考え、行ってきた事実をここに記している。その内容はきっと青年に役立つであろうと思わないではいられない。

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