啓蒙という労働の確立のために


「そりゃむろんだ。私の島にはなに一つ心を刺激してくれるものがない。外の世界からはまるっきり離れてしまっている―考えてもみたまえ、タヒチへ来るだけでも、四日かかるんだからね―だが、私たちは幸福だよ。ものを計画して、それを成就するということは、君、決して誰にでも許されることではないんだからな。私たちの生活は、単純で、そして天真爛漫だ。野心に悩むこともない。私たちの誇りといえば、それはただ自分のした仕事を考えること、それだけだ。悪意も起らなければ、羨望もない。ああ、君、世間ではよく労働の祝福ということを言うねえ。意味のない言葉だよ、だが、ただ私にとっては、それはもっとも切実な意味をもっている。私は幸福な人間だよ」

「でも、そうした生活をつづけ、そうした成功を得るについては、さぞお二人とも強い意志と毅然たる性格とがなければなりますまいねえ?」

「そりゃそうだろう。だが、そのほかにもう一つ、それがなければ絶対に何もできないというものが一つある」

「それはまた、何ですかねえ?」

「信仰だ、神への信仰だよ。これがなかったら、私たちの一生はだめだったろうと思うね」   『月と六ペンス』より(一部改)


僕たちのほとんどは労働することを慣習によって義務付けられていると認識している。生きるためとか豊かな暮らしのためというのではなく、盲目的にそういうもんだろうくらいにしか考えていない。そして一部のセンスのある商人であったり職人が労働は他者への献身であると突き止め、やりがいや成功を手にしている。それは結構だし労働者としてあるべき理想の姿かもしれない。けれども、ここで言っているように労働の原理を考えてみると自分の生活には何が必要であるか?まずそれを満たすことが労働であり、それが成就されてから、では他者のために。ということになり、精神的な幸福感を得られるのだろう。こうしてみると僕らがやっている労働がいかに高尚な目的のためで、その実、独りよがりな身勝手な行動に落着してしまっているかがわかる。自分の食い物を育て、寝床を準備したことのない人間に地球という自然で生きるということの意味などわからないだろう。ましてや、労働の喜びや生命の活動も実感できぬに違いない。

僕は自己嫌悪に陥る。なぜなら生きるための労働をしようとしていないからだ。一見すると芸術家はごろつきと同一に思えてくる。しかし分析してみると、テレビで活躍している有名人や映画俳優たちは一体何をしている?汗水流して働いているか?たしかに一流と呼ばれる人たちは相当な努力をしているだろうが、テレビではしゃいでいるタレントというような職種が生きるための労働だとはなんとも納得がいかないが、労働の原理で言えば、そうやって人々を楽しませたりするのもれっきとした労働なのである。ゆえに、芸術家や思想家、哲学者も立派な労働者といえそうだ。彼らは確かに人々を楽しませもしなければ、笑わせもしない、だが楽しい、おもしろいことだけが意味のあることだろうか?労働や賃金と結びつくことだろうか?そう思うこと自体が現在の社会のゆがんだ部分によるのだ。精神を向上させうるもの、人間や社会を考えさせうるもの、そうしたものを生み出すことも誇るべき労働であるはずだ。勉強のための勉強、先生の(給料の)ための授業には本当にうんざりしてきた。

きっと僕が求める労働の形と生活のあり方は間違っていないと思うのだ。そこには真理とよりよい生活、幸福のためというキーワードが必ず含まれている。これからも強い意志と毅然たる態度、そして神への信仰を失わずにわが道を進んでいけば道は開かれると信じている。

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hajime

Author:hajime
ぜひ、高校生や大学生などの青年諸君に注意深く読んでもらいたい。むやみに多読する必要はなく、知識や思想の力があれば悩みに打ち勝つこともできるのだ。僕自身が高校時代から現在に至るまで苦悩と苦悶を繰り返しながら、懸命に人生について、「善く生きる」とはどういうことか、ということを真面目に考え、行ってきた事実をここに記している。その内容はきっと青年に役立つであろうと思わないではいられない。

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