知行合一 「何を読むべきか」から「何をなすべきか」へ

「本を読みなさい」、「本を読むことで心を育つ」ということを周りの大人たちによく言われた。「勉強ができても、運動ができても本をまともに読んでいない、読めない人は凄い人ではない」というのだ。それは先生や親によく言われたように記憶している。教育やしつけとして読書を薦めることは常套手段というようなものかもしれない。とにかくそのように言われるほど僕は読書を好まない少年であった。子どもにとって遊ぶことの方が楽しく、おもしろいのは当り前のことであるし、部屋でじっとしていることなど思うだけでもうんざりしてしまうのだ。しかし、「読書を好まない、まともに本を読んだことがない」ということは長年僕のコンプレックスでもあった。ものを知っている友人や読書家とわかる知り合いに対しては引け目を感じずにはいられなかった。僕よりも優れている人間であると。

幸運にも一冊の書物との出会いが僕を読書の道へいざなってくれ、以来文学青年と揶揄されるほどに読書に親しむようになったが、いつの頃からか読書が生活の中心、人生至上の目的となってしまっていた。多読に多くの時間を費やしてきた。読まなかった期間のほうがまだまだ長いに違いないが、それでも自分を律し、戒め、時間と集中力がゆるす限り読書に挑んだ。それは僕にとっては楽しみではなく、修行に近いようなものだった。当然辛くはないのだが。信仰に近いものだったのかも知れない、あるいは読書さえしていれば人生に意味を与えてくれるような気がしていたのかもしれない。とにかく特別な価値があるように思い込んでしまっていたのだ。

「論語読みの論語知らず」という言葉は小学生の頃には耳にしたことくらいはあったろうと思うが、それは教養を求める人誰もが陥るであろう外道であるが、僕もまんまとそれにはまってしまっていたようだ。「知行合一」、陽明学のひとつの命題であるが、多読と文学的、あるいは科学的知識の先に何を実践として行なうのか。これが大きな問題なのである。これは、今までは「何を読むべきか」ということが最大の関心事であったが、ある程度その命題に答えを提出できるような実績を積んで後に得られた命題である。詳細に語ることは場にそぐわないし、大きな労力も必要であるから省くとして、文学をやるしかないのかなという気がしている。やりたいというよりも、論理的に考えれば、その道以外にないように思えるのである。妥協やあきらめ、無理な思考転回を講じればいくらでも道はありそうなものの、不安や苦労が前方に明らかに見えてはいるが、仲間であったり得られつつある実感と自信を基に細かな方向修正をほどこしながら日々を過ごしていきたい。

今の課題は「恋愛小説」とはなにか、作品中で女性を登場させるにあたり、どのような言葉を話させるのか、女性の言動はどのような思考を基にしているのか、そうしたことを解明し、作品として実のあるものをつくれるようにすることだ。そのために僕が手に取ったのは本棚にあった「シェリ」コレット著である。

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hajime

Author:hajime
ぜひ、高校生や大学生などの青年諸君に注意深く読んでもらいたい。むやみに多読する必要はなく、知識や思想の力があれば悩みに打ち勝つこともできるのだ。僕自身が高校時代から現在に至るまで苦悩と苦悶を繰り返しながら、懸命に人生について、「善く生きる」とはどういうことか、ということを真面目に考え、行ってきた事実をここに記している。その内容はきっと青年に役立つであろうと思わないではいられない。

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