誰もが現状に満足できない


「ちょうど僕がね、甲板洗いをやってるときだった。誰だか突然、ほうら、あれだと言ったやつがある。ふと顔を上げてみると、この島影さ。僕は即座に思ったねえ、これだ、ここだ、僕が一生探(たず)ね歩いていた場所は、とね。そのうちに近づいてみると、なんだか僕にははじめての場所だという気がどうしてもしない。僕はね、今でもこの島を歩いていると、故郷のような親しさを感じてくることがある。そうだ、たしかに僕は前にもこの島にいたことがあると、そう言いたくなるのだ」   『月と六ペンス』より


これは主人公チャールズ・ストリックランドが言ったとされる言葉である。

冷酷非道、孤高のエゴイストとして描かれる彼のこの場面での活き活きとした感情は読者に崇高な情感を引き起こさないではおかないだろう。

純粋で素直な感性によって認識することのできる、魂と世界との呼応がここには描かれているのだ。

人間の中には、ちゃんとはじめから決められた故郷以外の場所に生れてくるものがあると、そんなふうに僕は考えている。なにかの拍子に、まるで別の環境の中へ送り出されることになったのだが、彼らはたえず、まだ知らぬ故郷に対してノスタルジアを感じている。生れた土地ではかえって旅人であり、幼い日から見慣れた青葉の小道も、かつては嬉々として戯れた雑踏の町並みも、彼らにとっては旅の宿りにすぎないのだ。肉親の間においてすら、一生冷たい他人の心をもって終始するかもしれないし、また彼らが実際知っている唯一のものであるはずの風物に対してすら、ついに親しみを感ぜずじまいで終わってしまうという場合もある。よく人々がなにか忘れがたい永遠なものを求めて、遠い、はるかな旅に出ることがあるが、おそらくこの孤独の不安がさせる業なのであろう。それとも心の奥深く根差す隔世遺伝とでもいうべきものが、旅人の足を駆り立てて、遠いはるかな歴史の薄明時代の中に、彼らの祖先たちの捨てて行った国々を、ふたたび憧れ求めさせるのであろうか?ときには漠然と感じていた神秘の故郷をうまく探ね当てることがある。それこそは求めていた憧れの故郷なのだ。そしてむろんまだ見たこともない風物の中、また見も知らぬ人々の中に、まるで生れた日以来、そこに住みつづけていたかのような心安さをさえおぼえる。そして、そこにはじめて休息を見出すのだ。   『月と六ペンス』より


モームはこんなふうにストリックランドの抱いた感情を説明してくれる。モームの優れた心理分析とその描写、そしてストーリーテラーとしての力量が遺憾なく発揮されている。

心が肉体に対して少なからず不服であるのは仕方のないことではあると思うし、誰しも注意深く自分の感覚を調査してみればおそらくそうした事実を見出すことと思う。

続いてもっと大雑把な感覚を調べてみると、やはり窮屈さや違和を感じていることを発見する。すなわち肉体が衣服であったり、家具、住宅などにそのような不満をおぼえるのである。

もっと拡げてその身を置いている環境、つまり生活や暮らしを省みるとやはり不足を感じていることに気づく。人それぞれ度合いはあれど、こうした自分自身についての不満がある。それに対して人は愚痴をこぼしたり、仕方がないとあきらめたり、もっともらしい理由をつけて納得をしてみたり、哲学や文学に助けを求めたり、没頭に忘れたり、旅に出たりするのである。

僕自身が典型的なこうした、不満不服に充たされた人間なのである。現在に幸福を見いだそうとしながら、現状に満足できないのだ。自分の満足のいくような土地を探し、自分の満足のいくような暮らしを見つけ、自分の満足するような仕事をすること。そして、自分の満足するような人生の意義を見出すこと。漠然とそうしたもののために毎日があるように感じている。好奇心とは、自分の理想を発見するために僕たちに備わっている機能なのだと思う。たくさんのことを知れば、それだけ僕たちは選択の幅を得ることができるわけだ。すぐにそれが見つかる人もいれば、なかなか見つからない人もいるだろう。しかし、探し続けなければいつまでたっても自分の満足な人生にはたどり着けないに違いない。

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hajime

Author:hajime
ぜひ、高校生や大学生などの青年諸君に注意深く読んでもらいたい。むやみに多読する必要はなく、知識や思想の力があれば悩みに打ち勝つこともできるのだ。僕自身が高校時代から現在に至るまで苦悩と苦悶を繰り返しながら、懸命に人生について、「善く生きる」とはどういうことか、ということを真面目に考え、行ってきた事実をここに記している。その内容はきっと青年に役立つであろうと思わないではいられない。

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