社会も科学も文明も未熟

東日本大震災で不幸にもその尊い命を失ってしまった方々にご冥福をお祈りいたします。そして少しでも早くその遺族の方々、被災された多くの人たちの心の傷が癒え、奪われた日々の平穏な生活が元の通りに近づくことを願っています。

遅々として進まぬ復興とは三年前から言われ続けている言葉である。そしてそれはマスコミによってテレビを通して伝えられる、被災者ではなく、直接の支援者でもない、復興の現状に触れる機会を持たない人々にとっては実感のない空虚な言葉である。マスコミが取り上げる問題点や現況について僕たちは感想だったり、意見を持つに過ぎず、それは直感的かつ皮相的なもので今ひとつ信念の欠けるものとなるだろう。それは実際にボランティアや寄付金の激減という形で如実に表れていると思う。

この復興という言葉は実におもたい。前提として大変な労力と時間を要するということを含んでいるのだ。一人の人間の力では到底及ばない、多くの人の協力、そしてそれをエネルギーに直結させるシステムがなければ実現できない苛酷な道のりである。つまり復興は社会の根本原理に則って進められるべきものであり、社会構造はそれを迅速かつ確実に成功させるようなものではなければならないということがいえる。進まぬ復興とは現状の日本社会の根本原理と構造がいまだ未熟であるということを示しているのである。

政府の対応、政策の不十分、東京電力の後手後手の事故処理、ボランティアや寄付金の偏りや不適切な活用、経過に伴うそれらの不足、従来の自治体単位の地震・津波対策の不備(ハザードマップの質や防波堤などのインフラ)、住民の平生からの危機管理、あるいは意識の低下というように、細かく見ればまだいくらでもあげられるであろうこれら進まない復興の要因がある。だが、僕はあえて、三年経ったこともあって、感情的ではなく、幾分冷静にかつ論理的に考えてみた。そしてもっと根本的なところに一つ原因を見いだした。

日本国民は誰もが自国が地震大国であることを十分承知しているし、これまでに三陸沖のみならず、関東、近畿、東海の都市や海岸地域を襲った大きな地震が幾度となく起ってきたことをも把握している。歴史や経験上、地震が起こりやすい場所や周期は―地震の性質上確実にとは言えないが、推測することができる。今回の東日本大震災も、三陸沿岸地域ではいつ地震が来てもおかしくないと長らく言われていたのだそうだ。来る、来るといわれてなかなか来ず、突然来るのが地震であり、地震、雷、火事、親父といわれる恐れるべきものの由縁でもあるだろう。また、資料によると100年くらい前の明治期にも規模の違いこそあれ大きな被害をもたらした津波が到来したようである。そうした経験から被災地域には住民に対しての注意を喚起する石碑もあるようだ。

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大津浪記念碑
 高き住居(すまい)は児孫(こまご)の和楽(わらく)、想へ(おもえ)惨禍(さんか)の大津浪(おおつなみ)、此処(ここ)より下に 家を建てるな。
 明治二十九年にも、昭和八年にも津波は此処まで来て部落は全滅し、生存者、僅かに 前に二人後ろに四人のみ 幾歳(いくとせ) 経る(へる)とも要心あれ。


たとえ元の通りに復興できたとしても、間違いなく津波はやってくる―ひょっとしたらそうした直感のようなものが働いて復興が進まないのではないかとも思える。人智など自然の前には無力だ。どれほど巨大で高い技術によってつくられた防波堤でもひとたまりもないことを今回知ったはずである。社会も科学も文明も未熟なのだ。三陸沖は海産物の資源に恵まれているから人々はそこに住む、あるいは便利さや土着ということで住むのかも知れないが、やめるべきではなかろうか。ふるさとを失うことは悲痛なものであるに違いないが100年に一度ということは全く意味を持たない。その時代に生きる人々にとっては現実、いつか現実になってしまう世代がいるのである。多くの人が経験した悲しみ、費やした労力をまた文字通り流してしまうのか。もしかしたら、何度も津波を経験していくうちに、三陸地帯は徐々に地球の働きによって失われていくということも考えられなくはないし、感情をさしはさむべきところではないのではなかろうか。三陸地帯に限られたことではない、関東大震災をかつて経験した東京、なぜ都市計画と科学技術によって被害は抑えられると考え、平気で住んでいるのだろう。確かに最小限度に防げるかもしれない。起ってみなければわからない。でも僕はそうしたギャンブルに人生を賭けるのは間違っているのではないかと思う。

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hajime

Author:hajime
ぜひ、高校生や大学生などの青年諸君に注意深く読んでもらいたい。むやみに多読する必要はなく、知識や思想の力があれば悩みに打ち勝つこともできるのだ。僕自身が高校時代から現在に至るまで苦悩と苦悶を繰り返しながら、懸命に人生について、「善く生きる」とはどういうことか、ということを真面目に考え、行ってきた事実をここに記している。その内容はきっと青年に役立つであろうと思わないではいられない。

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