積極的な孤独と消極的な孤独 小説「自由への道」 42


「「罪と罰」っていやあ、ラスコーリニコフだな。俺もあれは好きだったよ。」と上井は軽くうなずいて見せた。

「そうそう、主人公はラスコーリニコフだ。よく知ってるな。上井も結構文学読むんだな。」

「ああ、読むには読むが、百ページくらいのところで頓挫してる。なんか合わないんだよな、ああいうお堅い文学はさ。積読になってるのがいくつかあって、今度こそ、と思って意気込んで買うのだけれど、結局最後まで集中力が続かないんだよ。もっと手軽に楽しめないものかな。」と適当に構えている。

「まあ、好きなものを読めばいいわけで、張り切って読む必要もなし、退屈で駄作なら途中でおっぽり出して燃やしちまえばいいんだ。そんなものに時間を掛けるほど俺たちはのらくらしてられない。俺たちはそれぞれに時間という資本を与えられていて、それを元手に人生をつくりあげていかなければならない。そんな貴重な資本をむだなことに使う余裕などあるものか。」

松本は少し前にアイスコーヒーを飲み切っていたが、いくらか解けた氷がほとんど水といってもいい薄まったコーヒーに浸かっていた。グッと上井がのどを動かして、グラスを置くとまだはっきりと底に黒い帯が現われていたが、「そろそろ行こうか。」と席を立つために形(なり)を整えた。

「シティボーイの慣例さ。」これはどうも飲み残しについていったものらしい。

二人を結びつけたものはアウトローという同じ立場であった。松本の孤独は一度は皆と乗った人生の航路を行く巨大な客船をどこかの島に到着する前に飛び降りて、自力で自由の島を見つけんとしたがための孤独であった。客船が寄港する島は決まっていて、かならず複数の人間が決まった港口から島へ足を踏み入れるのである。そこに真の獲得と自由はない。しかし、安全で心安く、気丈夫でいられるわけである。一方上井は、皆が乗った客船の出港に間に合わず、今まで乗ってきたものとは異なる便で目的地へと向かわなければならない孤独であった。孤独にも積極的と消極的の二種があるのである。孤独に生きていた二人は言いようのない不安と表面的で軽度の劣等感という共通の感情を持っていたため、互いになじむことができた。自信を持つこと、そして希望があるということを認識し合ったのである。自分には希望が見えなくとも、相手には希望があるように見えるというのはどうしてだろうか。その矛盾に気がつくとき、自分がまだ絶望の淵にまったく立たされていないということに人は思い至るのである。直感的に、彼らはこのときからそれぞれの今後を意識しなければならないと思った。同じ状況に置かれた人間がどのように打開していったかを知ることは参考となり、励ましとなるに違いない。

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

hajime

Author:hajime
ぜひ、高校生や大学生などの青年諸君に注意深く読んでもらいたい。むやみに多読する必要はなく、知識や思想の力があれば悩みに打ち勝つこともできるのだ。僕自身が高校時代から現在に至るまで苦悩と苦悶を繰り返しながら、懸命に人生について、「善く生きる」とはどういうことか、ということを真面目に考え、行ってきた事実をここに記している。その内容はきっと青年に役立つであろうと思わないではいられない。

無料メールマガジン
メルマガ購読・解除
 
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

twitter
月別アーカイブ
最新トラックバック
最新記事
最新コメント
リンク
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
QRコード
QR
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる