「雨にも負けず」 鎌倉の大仏


昨日書いた記事はあまりいいものではなかった。だからといってあれ以上のものが僕から出てくるわけではなく、僕の薄っぺらな思想からがんばって引っ張り出したその一面が現われただけだ。結局のところ僕からは読書から拝借した知識と思想、それとわずかな経験から学んだ教訓が出てくるのみである。それがあんな貧相なものであったことは僕の中で相当な落胆であった。でも、書き続けようと思う。応援していただける方には大変感謝しています。この場でその意を表明します。ありがとうございます。

最近は旅行記、読書中に出会った本分の一部から感化され流れ出た感情を主に書いた随想、そして自作小説をアップしているというルーティーンでこのブログは世界に公にされている。僕自身もそれなりにやりがいを感じているので続けることができている。楽しさ半分、難しさ半分といったところだ。

さて、寄り道はこのくらいにして旅行記を記していこうと思う。


舎利殿のほかに国宝がもう一つある。それは『円覚寺』山門の脇、ちょうど夏目漱石が滞在したことで知られる『帰源院』へつづく坂道の始まりの辺りに山頂に向かって無数の石段が積まれている、その頂上にある『弁天堂』の「洪鐘(おおがね)」と呼ばれる梵鐘だ。

古さ、大きさ、意匠、そうしたものが国宝級なのだろうと誰もが納得する財産であった。

そこに茶屋が隣接していて、ところてんが夏であったし、その茶屋の売りでもあったようだから、たしか三杯酢と黒蜜とで選べたところ、黒蜜にして里山の風景とでもいうべき山間の街並みを展望できる座席でいただいた。

開けた前方はなんてことはない、どこにでもあるような田舎の眺めだった。

一般的に言って鎌倉のシンボルは『大仏』であろう。きっと鎌倉に観光で初めて行って『大仏』を見て帰ってこない人は―余程の事情がなければ―よっぽどの変わり者に違いない。それほど定番中の定番だ。

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この大仏、実におかしい。誰もが知っている野ざらしの大仏で、その傷みようといったら見ているこちらが心苦しくなるほどで、頭には鳩が何羽かたむろして風情も何もあったものではなかった。『高徳院』という寺院の阿弥陀如来像ということだが、はて境内にあるべきお堂だったり塔だったり、仏像の姿がこの大仏以外に見られない。

人が大勢いたが、参拝しているというよりも日陰のベンチで憩っていたり、記念撮影をしたりと思い思いに過ごす観光客の姿が目立った。山に抱かれるというようなところにあるので静けさがあるのだが、巨大な図体をしてまじめに人々の好奇の視線をよそに瞑目、座禅は荘厳を超えて崇高であった。

最大の特徴はその大仏様の胎内に入って―有料20円かかる―鋳造の跡やなによりその内部を見られることだ。中は夏だったので蒸し暑くて暗く、全く快適ではないが独特な空間なので是非はいることをお勧めする。(おすすめしなくとも、大抵の観光客は入るだろう)

今後もおそらく収まることができるお堂は設置されないだろうが「雨にも負けず」、人々から信仰され、私たちをお守りとお導きをしてくださるに違いない。

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hajime

Author:hajime
ぜひ、高校生や大学生などの青年諸君に注意深く読んでもらいたい。むやみに多読する必要はなく、知識や思想の力があれば悩みに打ち勝つこともできるのだ。僕自身が高校時代から現在に至るまで苦悩と苦悶を繰り返しながら、懸命に人生について、「善く生きる」とはどういうことか、ということを真面目に考え、行ってきた事実をここに記している。その内容はきっと青年に役立つであろうと思わないではいられない。

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