僕の目指す文学


『僕自身もまた、多少は若い世代の書くものを、漫然とながら、のぞいてみたことはある。なるほど彼らの中には、すでにキーツ以上の情熱の詩人、シェリー以上の霊妙な詩人が現われていて、後世長く愛唱にたえるような佳品すら、幾編か発表しているのかもしれぬ。そこまではわからない。たしかに僕は、彼らの洗練に驚嘆しその見事なスタイルにも瞠目する。だが、彼らの雄弁博識にもかかわらず、僕には結局意味のない言葉にすぎぬ。僕に言わせれば、彼らは、あまりにも物を知りすぎ、あまりにも露骨に感じすぎる。いきなり背中をポンと叩いてくる心安立て、さては堪(こら)え性もなく僕の胸に身を投げかけてくるような感動、そうしたものが、僕はたまらないのだ。彼らの情熱も、僕にはなにか貧血症めいて見え、その夢もまたいささか退屈に思える。要するに、好きでないのだ。いわば僕は婚期過ぎの女。相変らず、押韻対連の教訓的物語詩を書きつづけるつもりだが、その目的は、一に僕自身の楽しみのために書くだけのこと、かりにもほかに色気など出そうものなら、それこそ馬鹿の骨頂というものであろう。』   『月と六ペンス』より


僕自身が実際のところ若い世代に違いないのだが、意地か誠意か、彼らの作品に追随したいとも参考を得ようとも思わない。芥川賞と直木賞が気にならないわけではない。直木賞よりも芥川賞の方が特に気になるわけだが、それよりか受賞者の年齢や性別、もしその人が僕という存在に近ければ近いだけ、当然意識する。その作品を本屋で見つければ、冒頭と途中の会話や描写を分析してみる。批判的に、挑戦的に読むのではない、純粋に作品的価値、そして自分との実力比較として読むのだ。だから卑怯な読み方はしていないつもりだ。そして必ずといっていいくらい僕の気に入ることはない。重厚感があって、言葉遣いが正確かつ巧みで、優雅さに溢れるような文体。それらは熟練を要し、受賞云々という地位にあっては到底望めない次元で成立しうる。

洗練という言葉はいつからか、劣化を意味するようになった。洗練された文体といわれるものは大抵、劣化した力不足の言葉の連続にすぎないし、想像力と創造力の欠如をシンプル、簡素化といってごまかしている。過激、露骨が賛美され、間接的、暗示、示唆という技法がなぜかナンセンス、つまらないという評価を受ける。いやはや、僕の感覚にはあわない。結末を最後まで出し惜しみして、一つ一つの文字の重みをできるだけ感じさせないように、なめらかにすすめていくような手法。極端な事件、激しい動揺、現実にありそうで、限りなく非現実的な出来事、奇想天外な展開。刺激で読者を引き込む策略。それは僕にはなじまない。

だから、僕は第一にやはり自分自身のために、納得のいくようなものを書けばよかろう。モチベーションを保つために、少数の信頼できる読者を得よう。たくさんの人に読まれたいとか拍手喝さいされたいというような下心はとりあえずしまっておいて、僕の美意識、努力の成果、読者を楽しませるための創意工夫、そうしたものに集中することにしよう。

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hajime

Author:hajime
ぜひ、高校生や大学生などの青年諸君に注意深く読んでもらいたい。むやみに多読する必要はなく、知識や思想の力があれば悩みに打ち勝つこともできるのだ。僕自身が高校時代から現在に至るまで苦悩と苦悶を繰り返しながら、懸命に人生について、「善く生きる」とはどういうことか、ということを真面目に考え、行ってきた事実をここに記している。その内容はきっと青年に役立つであろうと思わないではいられない。

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