古い世代ではなく、次世代、未来の世代のために現在の世代は働きかけなければいけない


考えてみれば、彼ら自身もまた、かつては同じ喧噪さと、同じ侮蔑とをもって、やはり自己飽満の古い世代を踏みにじってきたのである。そして今のこの勇ましい炬火(たいまつ)持ちどももまた、やがてはその席を譲らなければならないにきまっている。これでおしまいというものはない。かのニネヴェ(アッシリアの首都)が、空高くその栄光を築き上げたときには、すでに新しい福音は古くなっていた。それを口にするものにとってこそ、さも耳新しげに聞こえるかもしれない女への甘口も、考えてみると、幾百度となく、ほとんどアクセントすらもそのままに、繰返されてきたのである。右に、左に、時の振子は動いて止まぬ。同じ円周を、たえず新しく旅しているにすぎないのだ。   『月と六ペンス』より 


モームはやはり巧みな言葉づかいをする。こうして切り取って独立した文章としてみてみると、とても含蓄のある、一小説の単なる短小な断片としておくにはもったいないほど存在感のあるものであることがより鮮明になる。

現代の私たちに「古い世代を踏みにじる」ほどの気概と地力があるだろうか。社会の傾向として保守的でかつ姑息、踏襲的で事なかれ主義が蔓延している。若者は閑却されている。そろそろ自分たちはこうだったから、次の世代もそうであるべきだというような押し付け体制はやめるべきだ。自分たちの世代のみ考えているのが今までの政治であり、社会であって、近頃問題が頻発するようになり、次世代という感覚が身に付いてきたように思う(年金問題や原発の問題)。だけれどももっと先の世代までも私たちは責任を負っているし、それを感じなければならない。思うのだが、石油など私たちは所詮地球に存在している限りある資源、もっというとあらかじめ与えられた原子の中で生きていかなければならず、それらを同世代間のみでの価値基準でやりとりするということになんだか違和感を覚える。こうした専門的な話は私にはわからないが、いいたいことは「古い世代ではなく、次世代、未来の世代のために現在の世代は働きかけなければ活けない」ということだ。

そうだ、モームが言うように、同じ円周を、たえず新しく旅しているにすぎない。それは物理的な見かけ上の全体の動きであって、私はたとえ同じように動くとしても、それに伴う意志が重要でなかろうかと思うのだ。

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古典には短編小説はありませんねw

あいかわらずすてきな読書をしてますねえ。
モームはわたしも大好きです。
コンラッド,DH・ロレンス,など,かっての西欧諸国の植民地や少数民族に深いまなざしを向けた文学,というのは,とくに英米文學においてはひとつの大きな流れですね。

ホーソーンからどこにいくのかなあ,など興味をもっておりましたがw

ところで
短編小説には“近代を背負った小説”としての宿業があります。
日本では芥川,などまさに典型でしょう。その芥川がこだわったA・ビアスの短編などおもしろいですよ!!

短編小説。
コーヒーのようなものでしょうか,重厚長大な,滋味ゆたかな古典や,深酔いする長編小説とはまたちがったあじわいがあります。
晩餐後でも,昼間でも,ちょっとした閑を見て飲むコーヒーの様な・・・・。

って,先週のあなたの短編小説觀についての,わたしのいだいた感想は
今週のあなたには,いわずもがなのことがらになってるかもしれませんが・・・・


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hajime

Author:hajime
ぜひ、高校生や大学生などの青年諸君に注意深く読んでもらいたい。むやみに多読する必要はなく、知識や思想の力があれば悩みに打ち勝つこともできるのだ。僕自身が高校時代から現在に至るまで苦悩と苦悶を繰り返しながら、懸命に人生について、「善く生きる」とはどういうことか、ということを真面目に考え、行ってきた事実をここに記している。その内容はきっと青年に役立つであろうと思わないではいられない。

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