小説『自由への道』10


石田さんはセミナーに行ってからしばらくの間はあらゆる会話をこのグループビジネスにかこつけて話し出し、自分のモチベーションを上げ、成功の為に努力しているという満足感を得ようと懸命になる。松本は少々うんざりするのだが、石田さんの無邪気さゆえになんとも答えようがなくなってしまう。

「そうですね、一度行ってみたいような気がします。」彼は曖昧な挨拶をした。折りよく立て続けに来客があり、石田さんもカウンターに立って対応をした。カウンターには二つの窓口があり、客はモニターで空席状況が分かるようになっており、スタッフがタッチパネルを操作して管理を行っていた。石田さんと松本は入り口側のカウンターとちょうど客から死角になるホストコンピューターが蔵されている一隅とで話をしていたのだった。客足の少ない退屈な日であったので、松本は石田さんの話に対して自分なりの解釈を下してみた。

〈俺は商品を右から左に移すだけで利益を得るような商売を仕事にはしたくない。それに権利収入といったが、もし自分に家柄や遺産によって財産や不動産があったとしたら、きっと撥ねつけていただろう。労働は本来、生産的でなければならない、あるいは献身的でなければならない。そしてそれに見合った順当な報酬を頂くのでなければならない。しかし、なぜ報酬を求めるのか?その相手が他者だからか?いや、そうではない。自分本位ではなく他人本位による労力であるからだ。すると時間的自由と労働、お金というのはやはり両立しないもののごとく思われる―。では、芸術はどうだろうか?俺が自分の好きな作品をつくる。時間に縛られず、好きなときに好きなだけ書く。それが金銭的価値を持つには読み手が一定数存在していなければならない。〔金銭的価値というのはあくまでこの社会における指標に過ぎないが、あらゆるものと置き換え可能な観念だ〕すると自然、読者の意に適う作品をつくらなければならないということになる。理想は己の欲するところのものと読者が望むものが一致することなのだ。それは同時に自由と資本を獲得することを意味する。芸術は孤独だ、それはよく言われることである。けれども、石田さんの言う仲間というのは果たして、固い絆によって結ばれた仲間といえるのだろうか?それは空想ではないか?そこに集まる人たちは結局、石田さんと同じく独りよがりな自由とお金を手に入れたいだけの亡者の集いなのではないだろうか。〉

彼はここまで考えを進めたところで打ち切って、あとはぼんやり惰性で仕事をこなすことにした。閉めの作業を終えて家に着いたときには午前零時をまわっていた。

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hajime

Author:hajime
ぜひ、高校生や大学生などの青年諸君に注意深く読んでもらいたい。むやみに多読する必要はなく、知識や思想の力があれば悩みに打ち勝つこともできるのだ。僕自身が高校時代から現在に至るまで苦悩と苦悶を繰り返しながら、懸命に人生について、「善く生きる」とはどういうことか、ということを真面目に考え、行ってきた事実をここに記している。その内容はきっと青年に役立つであろうと思わないではいられない。

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