『吾輩は猫である』につづいて、『論語』と『レ・ミゼラブル』


初心に帰り、また改めてまじめに、真摯に文学に取り組んでみようという思いから『吾輩は猫である』を読んだ事は前に書いた。

自分の理解力の進歩を感じれたことは大きな収穫であったし、課題として語彙力のなさも痛感した。

同時に、漱石の作品には難しい言葉が、中には漢詩由来のものまで、たくさんあって大いに勉強になった。

日本文学の文語調、それに近しいもの、また言葉が入念に選ばれた作品を今後継続的に読んでいくことで読書、執筆両面における向上を図らなければならない。

事細かな描写にこだわりすぎることは決していいことではなく、会話を重視させる場合には特にその加減は慎重にやる必要がある。

小説はあくまで、おもしろさを含んでいなければ、小説である意味がない。

確かに、考えてみれば、おもしろくないのであれば、いわんとすることを論文にでもまとめてしまえば、それで事は足りるのだ。

もし、大衆にもそうした高遠なる精神のようなものを披露したいというのであれば、ぜひおもしろくわかりやすく書かなければならないというのは道理といわなければならない。

大きな事件、主題と言うものがその小説に準備されていなくても、だんだんに場面場面を連続していけば一連の物語となりうる。

勇気と気概をもって、自分の持ち合わせている知識と見解を表現するという仕事に躊躇してはいけない。

学ぶべきことが多かった『吾輩は猫である』には感謝である。

続いて僕が取り掛かろうと思う作品は、『レ・ミゼラブル』と『論語』である。

二つの物語を平行して読むことに対して僕自身も少なからず賛否を持っているのだが、芸術と学術の区別によって、あるいは、『吾猫』からの流れを汲んでの『論語』、文学史上の傑作で映画によってきっかけを与えられた『レ・ミゼラブル』。

『吾猫』からどういった流れかといえば、単純に『論語』内の語句が引用されており、他にも『史記』などからも多く引用があったが所有本の中に『論語』があったためである。

加えて、『レ・ミゼラブル』の作者であるユーゴーも『吾猫』内で言及されていたので、それなりに意味を見出せるので読むことにする。

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hajime

Author:hajime
ぜひ、高校生や大学生などの青年諸君に注意深く読んでもらいたい。むやみに多読する必要はなく、知識や思想の力があれば悩みに打ち勝つこともできるのだ。僕自身が高校時代から現在に至るまで苦悩と苦悶を繰り返しながら、懸命に人生について、「善く生きる」とはどういうことか、ということを真面目に考え、行ってきた事実をここに記している。その内容はきっと青年に役立つであろうと思わないではいられない。

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