僕はただ、幸せに、楽しく人生を、自由に旅したいのです


原始時代の人間は、単純な裸の生活を送っていたおかげで、少なくともまだ自然のなかで暮らせるという利益を得ていた。

食べ物と睡眠によって元気を回復すると、彼はまた次の旅路へと思いをめぐらせた。

彼は、いわばこの世の仮住まいで暮らしながら、谷間を縫って進んだり、平原をよこぎったり、山頂に登ったりしていたのである。

ところがどうだろう!

人間は自分がつくった道具の道具になりさがってしまった。

腹が減ると、めいめい勝手に木の実を摘んで食べていた人間は、いまや農夫となった。

木の下に立って雨露をしのいでいた人間は、家を管理している。

われわれは、いまではもう野宿をすることもなく、地上に定住して天を忘れている。

われわれがキリスト教を採用したのも、それが天ではなく、地の耕し方としてすぐれていたからにすぎない。

ひとはみな、この世のためには家族の館を、あの世のためには家族の墓を建てている。

最高の芸術作品とは、こうした状態から自己を解放しようとする人間の戦いの表現なのであるが、われわれの芸術は、単にこうした低い状態を居心地よく思わせ、あの、より高い状態を忘れさせる作用を及ぼしているにすぎない。

じつのところ、この村には、美術品がもちこまれても置く場所がない。

われわれの生活も、家や通りも、それを据えるにふさわしい台座を提供してくれそうにないのである。

一枚の絵をかけておく釘もなければ、英雄や聖人の胸像をのせておく棚もないのだ。   『森の生活』ソロー著より


僕は昔、こんなことを考えたことがある。

「どうして人間は路傍に生える雑草を食べて、元気を保つことができないのだろう。

もしそうであれば、飢え餓える人は少なくともいなくなるはずで、それによって犯罪や争いが幾分抑えることができるのに」と。

食べ物の滋養や脂肪分、たんぱく質にしても、これらが必要なのはエネルギーを蓄えるためであるわけだが、そのエネルギーは労働に用いられるものであって、そもそも、その労働は贅沢のために編み出された一種の策略である。

誰もがみな重労働をしなければならないという発想は、贅沢がしたい一部分の人間によって企てられた陰謀のようなものだ。

よく考えてみなければならない、社会とわが生活に必要なものはなんであるのか?

そのためには何をしなければならないのか。

それは環境を破壊することでも、娯楽品をつくることでもない。

住みよい環境をつくろうとしないのは、一体どういうわけか?

なぜ自分の家とも言うべき地球を汚して平気なのか?

もっと自由に旅するように、みんな生きていかなければ。

縛られ、強制され、苦しむのは人間の本来の姿ではない。

時代は変わり、宗教も改められる必要に迫られている。

つまり、キリスト教、ヒンドゥー教、仏教などのあらゆる宗教は概念と認識の問題であって、根本裡に異なる性質を含んでいるわけではない。

その本質なるエッセンスをおのおのの人間が慎重に見極め、抽出しなければならないし、それによる大いなる宗教観―この世界の捉え方を悟らなければならない。

善は不変であり、美は至高のものである。

共存、共栄、これは生命の存在意義に違いないだろう。

なぜ、この世界にしても生活にしても、どうしてこんなに複雑になってしまって、日々面倒な手続きや社会的ルーティーンをこなさなければならなくなってしまったのであろうか。

芸術を生む準備を自分はできているか?

そして、芸術を受け取る準備はできているか?

芸術は必ず、世界を光へ導き、光で包むであろう。

芸術は永遠だ、加えて、限りなく高貴だ。

芸術に親しめ、もっと。

生活を愛せ、もっと。

僕が定職についていないことに対して、毎日労働に勤しむある若い女性が「人生なめくさっとるなぁ!」と何度も罵倒した。

僕は言いたい、「僕は、限りなく人生を愛し、大切にしようと奮闘しているのです。

あなたはそうして貴重な自分の若さを賃金のために費やして、安心と未来の安寧を得ようとしているわけですが、未来の自分は過去の自分に感謝するとお思いでしょうか?

僕はきっと未来の自分がどんな保障や保険によって安定した境遇であったところで、過去の自分に疑問を投げかけるでしょう。

若いときにしかできないことを、もっとやってもよかった、今の僕は君のために、我慢することだってできるんだ。

若さは何にも変えることができないのだから、たくさん感動して、学んでほしかったとも僕は言うかもしれない」

僕はただ、幸せに、楽しく人生を、自由に旅したいのです。

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hajime

Author:hajime
ぜひ、高校生や大学生などの青年諸君に注意深く読んでもらいたい。むやみに多読する必要はなく、知識や思想の力があれば悩みに打ち勝つこともできるのだ。僕自身が高校時代から現在に至るまで苦悩と苦悶を繰り返しながら、懸命に人生について、「善く生きる」とはどういうことか、ということを真面目に考え、行ってきた事実をここに記している。その内容はきっと青年に役立つであろうと思わないではいられない。

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