夢を夢で終わらせない

いつの日からか僕は夢を語ることをやめた。

夢と一緒に生きてきたといってもいいくらい、いつも夢を持っていた子どもだったし、いまでもそうした生き生きした、気持ちのよい気分を忘れずに大人になったつもりだ。

小さいときは、触れて感動したものにすぐ夢をくっつけて、大人たちの前で、空港からかっこよく飛び立つ飛行機をみたあとでは「ぼく、パイロットになる!」といってはほめられたものだった。

「素敵な夢ね」、「いい夢だ」、「がんばればきっとなれるよ」

大人たちはみんなそういって僕を喜ばせた。

小学生高学年になると、盛んに将来の夢を学校や地域の人たちとの会話の中でも聞かれたものだった。

スポーツ選手や医者、社長や先生など、現実味がある夢がほとんどだったが、みんなかわいい夢を持っていた。

僕もそうした子どもと何も変わることなく、夢を持っていて、自信をもって披露した。

そのための努力を未熟ながらも自分に課して取り組んでいた。

夢に素直で誠実であったことは今でも誇らしい。

中学生になると、勉強が市民権を持って、僕らの遊びと自由の権力を奪っていった。

強く大きく、僕らの前に立ちはだかったのは成績と順位だった。

でも、まだまだ部活が幅を利かせていたから、それをがんばってさえいれば、批判も苦言もあびることはなかったので、僕らは必然的に部活をがんばり、勉強にも精を出すのであった。

思春期で、自我との葛藤、他者との関係に心悩まし、常に問題を抱えていて、夢を語る機会も、夢について聞かれることはなくなった。

それにとってかわって、進路が夢ではなく、現実的将来として考えなければならぬものとなった。

それを持っていなければ優れていると思われず、与えられたものを無理に、自分の将来に当てはめて僕らは安心していたのだった。

もし夢があるとしたら、一部の能力の優れた人間がその運動能力や学力を用いて、スポーツ選手や官僚や公務員、政治家、学者といったかもしれないが、僕の周りにはほとんどいなかったように記憶している。

夢を語ることさえ恥ずかしく、かっこ悪いというのが僕たちの常識であった。

高校生になり、突然夢が小さくしぼんだ。

部活動の全国大会出場か有名国公立進学のどちらかがほとんどの夢ある生徒の願うところであった。

両親や先生はことさらに将来を不安視して、安定と地位を求めることを第一と考えて疑わなかったし、僕らも知らず知らずのうちにそうした思考回路を形成させられ、勤勉こそが唯一無二の正義であった。

自分の夢は、夢破れた周りの大人の夢なのではないだろうか、計画的につくられた夢なのではないかと疑った。

もうすでに、自分自身で生きるということが難しくなってしまっていて、にもかかわらずそれを当たり前だと思い込むようになっていた、恐ろしいことだ。

そうしてなんとか見つけた夢は、ことごとく否定され、罵倒され、非難された。

それよりも苦しいのは悲しまれることだった。

はじめ僕には悲しむ理由がわからなかった。

それは独りよがりの夢ではなく、希望と善と自由にみちた夢だったから。

どこまでいっても100パーセントにならぬ可能性をむやみに求め自由や希望を奪うのならば人生はなんと味気ないことだろう。

今僕は夢については語らない。

心の中に静かにしまっておいて、あたためて夢を夢でなくすることに徹したいと思う。

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プロフィール

hajime

Author:hajime
ぜひ、高校生や大学生などの青年諸君に注意深く読んでもらいたい。むやみに多読する必要はなく、知識や思想の力があれば悩みに打ち勝つこともできるのだ。僕自身が高校時代から現在に至るまで苦悩と苦悶を繰り返しながら、懸命に人生について、「善く生きる」とはどういうことか、ということを真面目に考え、行ってきた事実をここに記している。その内容はきっと青年に役立つであろうと思わないではいられない。

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