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知らないことの幸福と知ることの中には改ざんされた情報もある


『人間を統べおさめたもうにあたって、神が、人間のものをみ、ものを知る能力に狭い枠しかあたえたまわなかったということこそ、じつに神の恵みの深さを示すものにほかならないということであった。

したがって人間はおびただしい危険のただなかを歩いていても、事態の成行きをみることもできず、自分を取りまく危険を知ることもできないために、じつに平静な気持でいることができるのである。

これに反して、もし危険が知らされていたら、それこそ心乱れ、意気沮喪してどうにもならないことは明らかなのだ』   『ロビンソン・クルーソー』より


いつからか世間は物騒になったと人は言う。

それは半分は事実で、半分は虚構であるように思う。

というのは、私たちはあまりに情報が氾濫する世界に住んでいる。

ほとんど関係のないようなことや、本来であれば知る由もないことが自然に耳や眼を通して入ってくる。

それは元来備わっているべき自分からの実質的距離に関しては無責任である。

混同してはいけないし、自分自身で情報を取捨選択するということも進んでやっていかなければ、心乱れ、意気沮喪してしまう。

あらかじめ危険を知ることは一見、重要であるように思うのだが、その実、守るべきルールや常識に適うふるまいということがなされないために降りかかる危険も多いということを認識しなければならないのではないだろうか。

しかも、今となっては特にそうした情報が改ざんされていないとは言い切れないではないか。

たとえば、放射線量が本当に正しく伝えられているのだろうか?

国が定める放射線量基準値とはいったい、どう基準値なのだろうか?

私たちにわかる範囲のことではないし、ひょっとしたらまだ誰にもわからないことなのかもしれない。

現に私たちは、そうしたことを知らないから日々、僕もそうだが平静のまま暮らしている。

実はこの身に危険が迫っているのかもしれないのにだ。

私たちは危険を回避して暮らすことも重要であるが、それ以上に幸福に暮らすことが重要なのである。

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hajime

Author:hajime
ぜひ、高校生や大学生などの青年諸君に注意深く読んでもらいたい。むやみに多読する必要はなく、知識や思想の力があれば悩みに打ち勝つこともできるのだ。僕自身が高校時代から現在に至るまで苦悩と苦悶を繰り返しながら、懸命に人生について、「善く生きる」とはどういうことか、ということを真面目に考え、行ってきた事実をここに記している。その内容はきっと青年に役立つであろうと思わないではいられない。

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